新隊員前期教育
入隊後、初めて外出許可が下りた時には、横浜の中華街や横須賀の米軍基地を案内して頂いた思い出もある。
体力検定日が近づくと、「煙草をプカプカ吸ってジュースばかり飲んでいる営内班が“体力優秀班”になどなれるはずがないぞ! 日々の生活態度にも、しっかり気を配れよ!」とハッパをかける一方で、コーラやお菓子を我々にしばしば差し入れしてもくれた。言行不一致なところもあったが、入隊直後の我々が緊張を解きほぐせたのも、班長のそのようなご配慮のお陰である。
何度目かの外出の時、私は帰隊の門限を数分超えてしまい、班長を怒らせたことがある。「時間の観念がどれ程大切か、それを俺が教えてやる!」そう言われて洗濯場に連れ出されると、パンツ一丁で正座させられ、頭からホースで水をかけられたのだ。だが、そこには温かみが感じられた。
また班長は、駐屯地内で空挺レンジャー隊員を見かけると我々をその人と引き合わせ、「これが空挺レンジャーのバッジだ、よく見ておけ! “露助”が攻めて来たら、自衛隊はこういう人たちを集めて戦うんだ!」そう仰っていた。(私の退官直後、班長は50代半ばという若さで亡くなられ、楽しみにしていた久々の再会は果たせなかった。心よりご冥福をお祈りするとともに、つい最近のことのように思い出される武山での新隊員教育と、その後の様々なご恩に対し、改めて感謝申し上げたい)
我が8班の副班長は、私より4歳も年下の20歳の若者であったが、外見も人柄も大人びてしっかりしていた。階級は班長と同じく3曹。自衛官としても極めて成績がよく、“全国規模でもトップクラスの優秀隊員”という評判だった。
私も4歳年下の、この副班長を班長同様に尊敬し、「自衛官としてのお手本の一人である!」と、目していた(8年後に再会した時、彼はヘリコプターのパイロットに、そして階級は幹部となっていた。令和となった今なお、現役の自衛官としてご活躍中のことと思う)。