美的にも優れた天守台の石垣
江戸城の本丸跡には、天守閣がないだけでなく、建築物は何一つ残っていません。空白の遺跡と言われる所以です。本丸跡を奥に進んだとき、直ぐに天守台上には登らずに、唯一残っている天守台の石塁を地上から眺めてみましょう。
この天守台の石塁は、明暦の大火の後、加賀前田藩によって築き直されたものです。四角な切石によって整然と積まれた石垣は、天守閣が再建されることを想定して築かれたものであり、重厚であると同時に、積み石の組み合わせに美的な工夫が施されています。
天守閣のない天守台は、正面から見ると三段の雛壇状になっていて、どっしりとした構えです。石塁の表面は、面を揃えて隙間無く積み上げられています。最下段は、低い石積みで安定感があり、かつ、積み石に多様な色の石を組み合わせて市松模様のような華やかさがあります。中段は黒系統の石で統一した重厚な石積みですが、所々に白い石を混ぜてシックな感じを出しています。最上段は白系統の石で統一し、形も四角の石材を整然と積み上げて、高さを出しています。
天守台の斜め後ろに回って石塁を見上げると、天守台の大きさと高さを実感することが出来ます。
天守台の下からは、松の木が一本見えるだけですが、それが石塁の大きさを際立たせます。ただし、東側の側面の石垣には、明暦の大火で天守閣が燃えたときの焦げ跡が残り、一部が崩れています。天守台再構築の際に敢えて補修しなかったのは、火災への警告ともとれます。
更に、天守台の裏側に回ると、四角の切石が急勾配で整然と高く積み上げられています。そこは北桔橋(きたはねばし)を渡って北桔橋御門から城内に入ったところです。御門と石塁との間は狭いので、城門を入った途端に見上げるような石垣があり、往時には、更にその上に日本一高い天守閣が聳(そび)えていたので、人々は圧倒される場所だったでしょう。
天守台の上に登りますと、意外に狭いことに驚きます。江戸城の郭全体には数多くの櫓(やぐら)が建造されており、本丸内だけでも数個の櫓があったと言われます。天守閣は戦時中に将軍がここから指揮をとるところですが、平時には将軍は本丸の御殿で政務を執っていたので、天守閣にはそれ程の広さは必要なかったのでしょう。
石塁正面の石垣の中段には、樹木が左右に二本植えてありましたが、江戸時代から植えてあったのか否かは定かでありません。今では、残った一本の桜が、訪れる観光客に春夏秋冬の季節感を与えてくれます。