希望を持つ。誓い

覚悟をしたはずの私でした。ですが、人間とは弱いものです。毎日が無味乾燥で、生きた心地がしませんでした。

ある日、ふらっと部屋を出ました。何の目的もなく、駅前まで歩いて、ビジネスホテルの前で足を止めました。わけもなく、偽名でチェックインし、部屋へ入りました。

洗面所から、カミソリを持ってきて、鏡台の椅子に腰かけました。カミソリを右手に持ち、左の手首をジッと見ました。何十分そうしていたのか、わかりません。

私は、ふと、手前の引き出しを開けてみようと思いました。カミソリを置き、引き出しを開けると、仏典が入っていました。それを手に取り、パラパラとめくって読むと、高校時代、毎朝唱えた法句経が書かれていました。

私の頬を涙がつたい、私は我に返りました。もし、あの時、引き出しを開けなかったら。もし、引き出しに仏典ではなく、ホテルのカタログが入っていたら。死に神に引っぱられた私を、引き戻してくれた、何かの計らいを感じ、人生とは、生かされているのだとわかりました。

私は、生きる決意をしました。絶対に生きる!と、自分に断言しました。

すぐ、手術を受ける気にはなれませんでしたが、なぜだか、生きられる!と、信じきれました。私は、書店へ行って、十年日記帳を買いました。

そして、十年後の「年のはじめに」のページに、こう書きました。

私は生きている! なんて有り難いことか! これからも、未来に向かって、真剣に今を生きる。何事も、どんどん実行する。神様、仏様、ありがとうございます。

それから、「ガン」という呼び方が、恐怖心を招く気がし、「プン」と名付けてやりました。

「プン」なんて、怖くない!と、毎日、自分に言い聞かせました。そうすると、不思議と平気な気持ちになりました。また、神様、仏様に向けて、誓いをたてました。

私は、決して無駄には生きません。自分にご縁のある方々、これから出会う方々、全ての人を愛し、皆の幸せのために祈り、できる事を致します。私にできる事を教えて下さい。皆の幸せのために、必ず全力を尽くします。これを、毎日、朝晩に唱えました。今も続けています。

ギリシャ神話に、パンドラの箱が開けられ、あらゆる悪が溢れ出たけれど、最後に希望だけが残った、という話がありますが、希望こそ、生きるために必要なものだと思います。