定年離婚の告白
今は定年間際の専門職であり、部下はいない。定年までの年数も片手の指で数えられる。家族は、可愛い二人の娘と、よくできた秋田美人のまめな妻で、転勤移動のときは、そんな妻に任せっきりで私は、家財に触れたことは一回もない。馬車馬のように働いた時期を振り返ると、家族にはどのような夫、父として映っていたのだろうか。今でも覚えている。
業務に突き当たり、ストレス爆発寸前な時期に、長女に些細なことで八つ当たりし、床に投げつけたこと。拳骨で頭を殴ったこと。人間はストレスに弱いことを思い知った。床に投げつけられて上向きに横になっている長女の目を見ると、くるくると目の球が回っていたことを今でも思い出す。長女は二階の自分の部屋に閉じこもった。そして、しばらくすると二階から、鋏でずたずたに切られた私のスーツが投げ出されるのが一階のリビングから確認できた。長女の一番多感な時期であった。
私は、その時、自身の犯してしまった罪に驚くとともに、反省の意をどのように伝えたらよいか躊躇った。以降、長女とは、対話もなくよそよそしい。時期をみて謝ったが、元に戻ることはない。私の犯したことで長女を苦しめてしまった期間は長かった。ゴメンナサイ。
そんなことを思い出しながらいると、妻がベッドの横の椅子に座った。「不安そうな顔をして、何を考えているの」と不安そうな目で私を見つめた。結婚して三十年、こんな不安そうな顔を見たのは初めてである。目の下のしわは、私の責任かと「ふと」思った。結婚三十年は「真珠婚」、退院したら真珠のネックレスをプレゼントしようと不自由な体で横たわり、そんなことを考えて心の中で許しを乞うた。
苦労を掛けっぱなしの私は、妻に頭が上がらない。妻が、見つめていた目を窓に向けカーテンを開け、突然、天地が逆様になるようことを言った。「私、貴方がこんな病気にならなかったら、定年で新たな人生をやり直そうと思っていたの。でも今の状態ではできないわね」と、こちらに振り返り、私を見て優しく笑った。