病室での孤独…
そうして儂はまた、孤独の世界に沈んでいく。こんな業苦のような日々が、永遠に続くのか。置き去りにされた時間だけが富士の山の如く降り積もり、終日することもない身に時計の針は優しくない。明日も明後日も、日々はこうして朽ちてゆく。
そこで妻の多恵のことが頭に浮かんだ。人生の辛苦を共にした、かけがえのない伴侶。あやつは今、何処にいるのだろうか。思い出せない。
そういえば二年前にだれかが亡くなった。檜の匂いのする棺。
火葬場の煙突からたなびく煙。もしかしてあれは多恵だったのか。分からない。思い出せない。
それからどのくらいの時間が経っただろうか。悠久とも刹那とも思える時間を浪費した後で。
「お待たせしました、食事の時間ですよ」
甘ったるい声にまどろみが中断される。看護師が夕飯の膳を運んできたようだ。
「今日はサプライズもありますよ」
ねっとりとまとわりつくような物言いに神経が逆なでされる。ふざけるな。自分を老いぼれ扱いするな。そこで病棟の電気がぶつんと落ちた。
「ハッピーバースデートゥユー、ハッピーバースデートゥユー、ハッピーバースデーディア、カンさん、ハッピーバースデートゥユー」
部屋中に拍手が入り乱れるなか暗転が解けた。患者同士を仕切る部屋のカーテンが引かれると、大勢の看護師たちが儂を囲っていた。そのまんなかにいた、一番背がちいさい新米看護師が、白いものを掌に乗せて歩み出る。そこには赤く熟れた苺のショートケーキがあった。そこには白いメッセージも添えられている『カンさん、これからもお元気で』
お団子頭の中年の看護師が、達磨のような腹をゆらして相好を崩した。
「主治医の先生からです。大きなホールケーキの差し入れだったんですけれど、カンさんは血糖が高めだからこのくらいにしましょう。本当に美味しそう。私が残り全部いただこうかしら」
周囲の連中も同調して笑い声を上げた。偽善の仮面を被る輩の声は明るい。儂にケーキを渡そうと新米看護師が近づいてきた。それは禍々しい鎖そのものだ。この身体を病床に縛りつけ、生き恥をさらし続けさせるための鎖。