六 第二の人生 結婚 子育て

子育てにも慣れた三十代の終わり頃、それまでの自分を振り返ってみて、高校を卒業したまま何の向上もなく、年を重ねていることを何とも不甲斐ないと思っていた。

もし就職する必要が生じたら何ができるだろう。三人の子供を自分が支えなければならないことが起こったら、何ができる。

就職するとしたら何が武器になるかを考えた。

そこで思いついたのは英語の会話能力だった。近頃では英語を話せる日本人は増えたが、当時は大学を卒業しても、話せる人は数少なかった。

就職試験で、自分が人と対等なスタートラインに着くためには、英会話の能力は役にたつのではないだろうか。

そう考えて、かつて少し得手だった英語を、学校に入って、学び直そうと決めた。

思い立つと一直線の性格で、そのまま銀行へ行き授業料を引き出し、英会話の学校の入学手続きをしてしまった。

自分にとって、必要な時がきたら、自分の翼で飛べるようになりたいと、切実に願ったのだ。

英会話の学校は夜の七時半から始まった。

週に二日、家族と夕飯を終えたら、「ごちそうさまでした」と手を合わせて、そのまま、「行ってきます」と家を飛び出し、自転車で走って、始業ギリギリの教室に滑り込んだ。

定期的に試験があり、英文暗誦も義務付けられたが、久しぶりに学ぶことが楽しくて仕方がなかった。

そのクラスには、大阪大学の医学部の学生や、京都大学の薬学部の女子学生、大手商社の社員や、ホテルマンなど、約二十名が在籍していて、知的レベルの高い集団だった。

話題がほとんど子供のことだけのママ友達とは違い、異業種の友達がたくさんできたことも新鮮で楽しかった。

家では、ダイニングのテーブルで、英文を読んだり、書いたり、覚えたりした。

傍らで子供たちが宿題などをしていた。解らないことを聞いてきたときは、時を移さず、答えてやることにしていたが、その他のことは、「お母さんの勉強が済んでから」と言って、後回しにした。

学ぶことがあんなに真剣で、楽しかったのは、高校時代にはなかったことだった。

授業の一環として、校内のスピーチコンテストの参加が必須だった。

全国規模の学校だったので、年に一度、各クラスで一人ずつ代表を選出して、地方大会、全国大会と進んでいくようなコンテスト形式のイベントを開催していた。

できすぎの話なのだが、スピーチコンテストでは、クラス代表に選ばれた。その上、地方大会でも残り、全国大会に出ることになった。