この低い税率の時代で、赤字を減少するには支出の削減しか手がなかった。これがレーガンを取り巻く財政保守派の考えていたことだった。
レーガン政権の巨額の支出と減税政策は経済成長と冷戦の勝利という素晴らしい結果をもたらした。赤字のつけは次の政権にまわされ、その政権は不人気な増税または支出削減政策をとらざるを得なくなる。
もともとの野獣に餌を与える政策は、結局野獣を飢えさせる政策に形を変えていき、続く政権の手足を縛るのである。
次の2つの政権で、1つは共和党、1つは民主党であるが、まさにこれが起こったのだった。
1988年の夏、レーガン政権は終盤を迎え、次期大統領選のキャンペーンが盛り上がっていた。
1988年の選挙運動ではレーガンの副大統領であるジョージ・H・W・ブッシュが民主党マイケル・デュカキスに対抗していた。民主党はすでにレーガンの赤字を埋めるための増税を打ち出していた。1988年8月18日、ニューオリンズでの共和党の指名大会でブッシュはこう宣言した。
「下院は私に増税するよう圧力をかけるだろうが、私はノーと言う。それでも圧力をかけるだろうが、私の答えはノーだろう。彼らはまた圧力をかけるだろうが、私は言うつもりだ『私の唇を読んでくれ。増税など無い』」⑶
この誓約は共和党保守派の支持を確実にするためのものであり、彼らは増税に反対していたが、支出の削減を望んでいた。
これが効いた。ブッシュは容易く指名を獲得し、選挙でデュカキスに楽勝した。
増税無しの誓約はブッシュがかつて経済に関して口にした最も記憶に残るもので、アメリカ国民はこれを忘れなかった。
不運なことに赤字の額はブッシュの誓約を支えてくれなかった。