第三回の環の手紙を手にしたウッドは、これを事前にレディ・チャーチルに示し夫人の都合に合わせて環に返信したものと思われる。もし環に期待するほどの力量があれば彼女の歌をプログラムに加えることは音楽会の趣旨からも、日本との友好関係の立場からも願ってもない条件が揃うことになる。

「私は日本からお見えになった貴女にお目にかかり、貴女の美しい声をきいて大変幸せに思いました。ウッド卿も貴女の音楽を素晴しいとおっしゃっておいでです。実は来月二十四日アルバート・ホールで赤十字の音楽会を催します。そこで日本の歌を歌って下さいませんか。アデリーナ・パッティさんも出演されます」

とレディ・チャーチルから告げられた環は、この時の喜びを晩年自叙伝の中で次のように述べている。

私はまだみたこともないアルバート・ホールの音楽会に出演を依頼されて夢中になった。またその上に、歴史上の人物になっているとばかり思いこんでいた一九世紀の歌の女王アデリーナ・パッテイと同じステージで歌えるということをきかされて、気狂いのようになって喜んでしまった。

大喜びの環はその足で大使館に行き、山崎書記官に事の次第を報告して礼を述べた。彼は大使館内の井上勝之助大使公邸に環を案内した。応対に出た大使夫人はこの吉報に、「これは貴女の名誉だけではなく、お国のためにも大変な名誉なことです」とわがことのように喜んだ。

「アデリーナ・パッティはキングやクイーンとご陪食をされるほどの方で、頭の先から爪先までダイヤモンドが光っているような大変なお金持です。貴女も日本を代表して出演される以上立派な身なりをなさらなければなりませんね」

昨年六月大使着任とともにロンドンにあって日本人会の世話役をつとめる井上夫人は、山崎夫人や三井物産の南条夫人と相談して環の支度について粗相のないよう気を配った。夫人たちは「各国の方々がおいでになる国際的な音楽会でもあり、レディ・チャーチルも日本の歌をお望みのことだし、ここは純日本式に着物と日本髪で支度をしましょう」との意見であった。