それにしても、仕事後の楽しみは酒を飲みながら本を読むことだ。酒か、本か、どっちか選べというのはあまりにも残酷なことのように感じてしまう。煙草だってなけなしの金で買っている。煙草ぐらい何も気にせずに吸わせて欲しいが、ちまちま吸っている。あーまた一本減ってしまった、また一本減ってしまった。今日は吸い過ぎたかな、いやそうでもないが、また明日煙草を買わなきゃいけないな。煙草を止めたらビール代くらいはなんとかなるな。
だけどそう簡単に止められるものではない。煙草代は仕方ないにしても、やっぱり一日一本くらいビールが飲みたいよな。そんなことを考えていると、侘しくて泣きたくなってくる。毎日飲み歩きたいとも言っていないし、高い服が買いたいわけでもない。豪華な食事がしたいわけでもないし、高いワインが飲みたいわけでもない。ビールが飲みたくても百円の発泡酒で我慢をしているし、好きな本だって古本屋の百円コーナーから探している。
それなのにたった百円を使ってしまうだけで、こんなにも自分が悪いことをしているような気分にさえなってしまうのだ。節約というのは恐ろしく、まるで強迫だ。今まで自由に生きてきた男の人が結婚してからお小遣い制になった時の心境が少しわかるような気がした。
そこで、私が思い付いたのが図書館だ。全く乗り気ではなかったが、貧乏人なので仕方がない。天気のいい平日の午後に図書館へ行くなんて物凄く嫌だったが、仕方がない。散歩がてら図書館へ行く。まるで退屈な老人のやることだ。吐き気がしそうだ。誰にも見られたくない。でも仕方がない。
しかし、行ってみるとこんなに便利な場所はないという気持ちに変わってしまった。先ずは、タダということだ。免許証を見せてこの街に住んでいるという証明をするだけで、タダで本を貸してくれる。そして、読みたい本が無ければ取り寄せてくれるのだ。
先日読みたい本がどの古本屋にもないのでAmazonで買おうと検索してみると、あまりの値段の高さに諦めた。それが図書館には意外とあるものだ。尚且つ無ければ取り寄せまでしてくれて、貸出期間は二週間ということだ。これを利用しない手はない。
私は大満足で帰ってきたのだが、やはりなんとなく年寄りの仲間入りをしているような複雑な違和感は消えなかった。たぶん、街の中にある大きな図書館となるとまた空気が違うのだろう。田舎の近所の小さな図書館だから尚更、年寄り臭さが満載なのだろう。それにしても、絶対に書店には無いような昔の作家の全集などが置いてあると、本当に嬉しくなる。会社なんて行かずに、毎日本を読んでいることができたらどんなにいいだろうか。
図書館に通い始めて数カ月が経った。ある日の図書館からの帰り道、私はこう思った。もし、人生をやり直すことができたら大学の文学部へ行こう。そして古典や歴史、更に日本語を勉強しよう。しかし、そう思った瞬間に背筋がゾッとした。母親が文学部を卒業しているからだ。私は母親を反面教師として生きてきた。彼女のようにはなりたくなかったのに同じ道を歩みたいと思っていることに気が付き身体が震えた。そしてどうしようもない寂しさが突然私に襲いかかってきた。
どんなに逃げても寂しさという影が付きまとっている。何処かへ逃げようとしても逃げられない恐ろしい感覚。それでも私はどこまでも逃げようとしている。
寂しさという言葉のない世界へ。