「孝介さん、点滴しないと死んじゃうよ。ご飯、食べようよ」「先生、もういいんです」

「孝介さん、点滴しないと死んじゃうよ。ご飯、食べようよ」と促しても「先生、もういいんです」とうつろに繰り返され、ついに終末期の方針を後見人の先生と相談することになります。『高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン』(1)を参考に積極介入を断念し、氏の摂れる範囲での生活を支援することとしました。

レイさんは、痩せて食事も摂らなくなり、弱っていく夫に全く関心をしめさないままです。話すことも意味が不明な短文になり、時々幻覚や幻聴があるようになり、食堂で一人、誰かと会話をするように話し続けたり、鼻歌をハミングされたり。孝介さんがそんなレイさんをどう思ったかを知る由もありませんが、退院して1ヶ月目、3月のある晩、お二人の居室で「レイをレイを殺す!」と激昂した孝介さんがうつろな目をしたレイさんのベッドサイドでハサミを手に興奮しているところを職員に抑えられました。

それからはレイさんと孝介さんを別室にして対応。日中にリビングで同席しても悲しいほどに無関心になった二人です。それを見ている方も悲しくなりました。

それから2週間後、孝介さんは痰詰まりをきっかけに重症肺炎をおこし、最後を住宅で看取ることに決めました。毎日、レイさんを引き合わせましたが、悲しいほどに夫がわかりません。会わせても上の空の日々が続きました。ところが、亡くなる3日前頃よりレイさんが孝介さんを断続的に認識できる瞬間が増えたのです。夫を認識できなくなって数ヶ月はたっていたというのに、驚いたのは私たちです。

「おとうさん、もうダメかしらね。可哀想ね」とつぶやいたかと思えば、上の空に戻ってしまいます。その翌日には細くなった夫の腕をさすりながら「こんなに細くなって可哀想」と号泣されました。

次の瞬間には、無関心に戻ってしまうのですけれど。いよいよ最後の時がきました。職員がレイさんに下顎呼吸(亡くなる寸前の呼吸です)にあえぐ孝介さんの手を握らせます。

「レイさん、孝介さんだよ。わかる?」

孝介さんは少し手を握り返しました。レイさんは孝介さんにポツリポツリと何かを話しかけ、孝介さんはその度に小さくうなづかれます。

レイさん「あー、先生、お父さん、だめなんですね」「レイさん、孝介さんはもうすぐ亡くなるんですよ。手をしっかり握ってあげてね」「あーそうですかぁ。可哀想ねぇ」とどこか上の空ですが、なんとか事態を認識できたようです。孝介さんは「可哀想、可哀想」とつぶやくレイさんの手を握り、お顔を見つめたまま、静かに息を引き取られました。

お亡くなりになったことをレイさんに告げましたが、「あーそうですか」と目はすでにあらぬ方向に向き、別な世界に戻ってしまいました。それにしても人が旅立たれる時には不思議なことがあるものです。たとえ短時間の断続的なことだったとはいえ、夫婦の絆が最後の最後に蘇ったのですから。