「先生、レイを、レイをよろしくお願いします!」

孝介さんの食欲低下あるいは拒食は手強く、脱水になっては点滴をする、脱水が良くなると、また少し食べてくれるようになる、という経過を繰り返しました。どんどん痩せ細っていき、「このままでは死んじゃうので、食べませんか?」とお願いしても「いいんです。もう年ですから」と返され、本人は一向に気にされません。

そんな中、年の開けた2月に突如、激しい胸痛と呼吸困難に襲われました。孝介さんは血管系の余病がたくさんあり、肺の血管が詰まった肺梗塞かと疑いました。そうであれば突然死しかねません。緊急入院を強く勧めたところ、「先生、ここだって病院みたいなものでしょう。ここでやって下さい」と息も絶え絶えで、こう返されてしまいました。

病院みたいなものと言われてしまい、私は複雑な心境になりました。終の住処として職員一同で気張ってはきたものの、やはり入居者さんにとっては施設、病院みたいなものに思えるのだなと。

レイさんは夫がもがき苦しんでいる状態もわからなく、関心も示さず、遠巻きに車椅子に座ったままでした。苦悶に喘ぐ孝介さんが救急隊に運ばれていくとき、レイさんの方へ目配せし、「先生、レイを、レイをよろしくお願いします!」と声を絞り出し、必死に嘆願されました。職員みんなが胸を打たれ、涙ながら「わかったよ、大丈夫だよ! 頑張ってきて」と送り出しました。

なんとか説得して入院にこぎつけたものの、病床ではせん妄を起こして暴力的になり、治療を拒否され、止むを得ず抑制と鎮静を行われました。この度は病院側もすぐに返せないほど重症な肺炎で(肺梗塞ではありませんでした)、毎日、酸素吸入と点滴治療が行われ、入院は長期化します。3週間目に退院にこぎつけ、迎えに行った2代目ホーム長の松尾さんが「孝介さん、帰りますよ」と声をかけた途端に顔を覆って号泣されたそうです。松尾さんも思わずもらい泣き。

「美しが丘」に帰って来た第一声が「あぁ、我が家はいいですね」としみじみおっしゃり、大変嬉しかったです。家と職員を忘れずにいてくれました。「先生、もう2度と入院は嫌です」と付け加えられました。しかし、闘病ですっかりやせ細り、鎮静剤の残った体から日常への回復はなかなか厳しいものがありました。

夜間にせん妄を起こし、ベッドから床に転げ落ち、落ちてもなお動き続ける不穏な日々が続きます。退院時の大量の鎮静剤をやめ、日中に出来るだけ社交につとめたところ、少しずつ不穏は回復しました。しかし、またも食事には全く興味を示さないままです。仕方なく行っていた点滴も拒否されるようになります。