「君たちは、いつも誇りを忘れてはいけない。自分にもこの学校にもだ。この学校にも不満はあるだろうが、誇りを持って3年間を過ごすのと、そうでないのとでは大きな違いだよ。人生だってそうだ。どんなことで挫折するかも分からないが、自分に対する誇りだけは、持っておくことが大切だよ」

この言葉は勉の心に光を差しいれた。

関西の超有名国立大学出身らしいが、この高校の一流大学出身の他の教師が見せるような、生徒を見下す態度や厭味な素ぶりを見せたりはしなかった。授業は教科書の内容をそのまま教えるのではなく、その時代の人物のエピソードを交えながら進めた。歴史に興味のある勉にとっては、越智の授業だけが、学校生活の救いとなった。

また、生徒の態度に対しても、寛容というか粋なところがあった。勉が気位の高そうなイヤミな女だと感じている山村という女子生徒は、勉の少し前の席に座っていたが、その彼女が授業中にコックリ、コックリと体を揺らせながら居眠りをしていた。ちょうど、クレオパトラとアントニウスの話をしていて、アントニウスが死んだと伝えられたクレオパトラが、毒蛇に我が身を噛ませて、後を追った話をしているところだった。越智は、山村が居眠りしているのを見て側に行き、肩をポンポンと叩いて、「山村」と声を掛けた。さすがに山村も驚いて顔を上げて、越智を見上げた。途端に叱られると思ったのだろう、山村は覚悟を決めたように強張った。

しかし、越智はにこやかに、「もしも君がクレオパトラだったらどうする?」と尋ねた。

山村はキョトンとしながら、一瞬考えて答えた。

「あのう……、美女であることを全てに利用します」

教室に大きな笑い声が起こったが、越智は山村にニコリと笑って言った。「君もこんな時に眠っていて、トンチンカンな答えをしているようでは、良い恋ができないぞ」山村は神妙になった顔をうつむけた。この高校の他の教師なら、「授業中に眠るとは何事だ。この馬鹿者!」と言って怒るところが関の山だろうが、越智は違っていた。

授業中に居眠りをすることは、決して良いこととは言えないが、いつも居眠りをしているわけじゃあないのだから、大声で怒鳴って叱ることでもないと越智は思っているのだろうと、勉は勝手に推測していた。実際のところ、山村もこの方がかえってこたえた様子だった。