これらの新しい債券はアメリカ財務省の債券市場の始まりの象徴と言える。アメリカの国としての信任が確立したため、ハミルトンとその後継者達は満期を迎えた債券の支払のために新しい債券を発行するという、いわば債券の借り換えを行うようになった。
第2代大統領ジョン・アダムズの選出に始まり、マディソン政権の開始に至る1796年から1811年の16年間のうち14年間はアメリカの国家予算は黒字だった。アダムズは国の債務を常に83百万ドルに抑え、ジェファーソンはその2期の任期中、ルイジアナを買収するために資金調達したにもかかわらず、債務を65百万ドルに減少させた。
アダムズとジェファーソンは国家債務を無くすことはしなかったが、管理可能な状態とし、ヨーロッパのどの国よりも高い信用度をアメリカに与えた。ジェファーソンはまた、アメリカの債務管理の2本柱の1つを打ち立てた。それは平和時に債務を減らすことだった。
マディソン政権の最後の2年間、それは米英戦争時であったが、国はアメリカの債務管理の2本柱のもう1つを打ち出すことになる。戦争時に債務が増加したのだ。マディソン政権時に国の債務は倍増し、65百万ドルから127百万ドルに増加した。ジェファーソンとマディソンは共にアメリカの国家債務の特徴的性質を確立した。債務は継続的に増加していくのではなく、戦時に増加し、平和時に減少する。
予算上の黒字は平和時に達成され、たとえ債務をすべて無くすことがなくとも、雨の日に備えて資金を貯め込み、アメリカが戦争する時には、充分な借入余力を持てるようにした。借り入れ能力とは財務上のドライパワーであり、いつあるかも知れない、しかも避けることのできないトラブルに対し武器や弾薬を準備するのと同じ目的のものだ。