家庭教師
火曜日が来た。大塚夫人の手術の日だ。
僕も立ち会わなければならなかった。上首尾に終わるように願った。ステージ1だから、おそらく大丈夫だろう。手術は四時間で終わった。幸いリンパ節などへの転移もまったくなく、一週間ほどで退院できるとのことだった。
あとは、週に一、二回、放射線と抗がん剤の投与を受けることになっていた。夫人の術後の体調は順調に快復したが、抗がん剤(ホルモン剤)の副作用で吐き気や頭痛が続いたらしい。
食欲もほとんどなくて、体重も減少したようだ。また、放射線治療のため、トイレですこし血尿も見られたが、その後の検診では数値は低く収まり、再発や転移の可能性は著しく低下したとのことだ。
退院してから一週間後、僕が大塚家を訪れたとき、大塚夫人から、
「貴方には、ほんとお世話になりました。彩も土曜日は楽しかったと言ってました。おかげさまで、私も何とか食事ができるようになりました」
とお礼を述べた。そして続けて、
「本来なら、我が家で快気祝いをやるべきなんでしょうが。まだ体調も優れず、そんな気分にもなれません。それであなたには、いろいろご迷惑をおかけし、お世話になりましたので、これ、ほんの気持ちです。どうぞお受け取りになって」
と言って小封筒を差し出した。
「何ですか、これ」
「ほんの気持ちです。特に土曜日は、我が家に泊まっていただき、留守番までお願いして、申しわけありませんでした。彩もとても喜んでおりました。とても楽しかったと言ってました。ほんと、母子家庭みたいな我が家には助かりました」
僕は嬉しかったが、
「でも、僕はこれ受け取れません!」
と固辞した。大塚夫人は、困惑した表情で、
「受け取っていただかないと、私の立場がございません」
と封筒を押し付けるように渡してきた。夫人にそう言われると、僕は受け取らざるを得なかった。彩さんが、
「なかを見てみれば」
と言うので、失礼してなかを見ると三万円の商品券が入っていた。夫人は、用が済むと早々に自室に戻った。まだ、本調子でないことは夫人の後ろ姿から容易にうかがえた。
「ママ、大丈夫かな? あんな体で、外国とか行けるのかな。やっぱ、ガンは怖いな。元の元気な体に戻ってくれたら嬉しいんだけど」
彩さんは暗い表情をした。母親に命の危険が及び、この世を去るようなことがあれば彩さんも後を追うかもしれない。
僕は不安にかられながらも、彩さんを静かに見守ることしかできなかった。