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人生はギャップで輝く(Life shines Through The gaps.)
アメリカにいる時の私のスタイルは、ジーンズにTシャツ姿でした。
5歳から15歳までの5人の子供たちと暮らした忙しい2年間は、楽が第一のカジュアルスタイルばかりでした。日中に語学学校に通っていましたが、校内では校長先生を除いて、46歳の私が一番年上でした。学生たちからすれば、私の年齢は母親と同じくらいだったのです。
数年前まで体育の教師だった私は、学生たちを誘ってバレーボールクラブをつくりました。休日はアパートのコートに集まり、自作の得点表を用意して試合をしました。ビーチボールの盛んなカリフォルニアのアパートには、砂のバレーボールコートや共有のプールがあることが珍しくありませんでした。
私は日焼けするのが大好きだったので、日焼け止めなどを塗らずに過ごしていましたが、車の運転中はフロントガラスからの日差しで目が潰れてしまうほどだったので、サングラスは必須アイテムでした。そんな毎日の出立ちは、真っ黒に日焼けした体にジーンズにTシャツ。ターコイズのピアス、頭にはキャップを目深にかぶり、GMの大型ワゴンを運転していました。
日本からギターも持参していたので、Singing clubのリーダーに抜擢され、セレモニーなどでメンバーとのコーラスを披露していました。
語学学校を満喫する私の年齢を聞いた人は皆、驚きました。
私にとっては、異国の地で自分の経験を若者たちに活かすことができて、日々英語が上達できたことが何より楽しかったのです。
そして、その生活の中で出会ったのが『盆踊り』でした。
日本から遠く離れたカリフォルニアと『盆踊り』のギャップは、アメリカの地にどっぷりと浸る生活の私に『日本文化』を深く感じさせてくれた瞬間でした。
異国の浴衣姿の人々から、『日本への思い』が心の底に響いたのです。戦前からこの地に渡り、日本人移民として苦労を重ねた先人の末裔の人たちの踊りでした。
乾いた空と抜けるように雲ひとつない青空に和太鼓の音が鳴り響き、その音に合わせて歌い踊る日本の盆踊り。先祖の面影が残る踊り手の真面目な顔から、「私の祖先は日本人です」という誇りが見えました。
その光景の中、私の頭の中は日本のことでいっぱいになりました。