内臓の神秘、その前に
腹直筋鞘の後葉を観察する。
すなわち、腹直筋に隠れて今まで見えなかった膜だ。前の膜と比べて何が違うのだろうか。テキストに曰く、前葉は外腹斜筋の腱膜、後葉は腹横筋の腱膜、内腹斜筋の腱膜は2分して両方へ分布する、とある。
後葉は、臍の下辺りで次第に薄くなり、やがて消失するという。その際に腹直筋に対し、弓なりの線を形成しつつ、消えるという。
その線を弓状線(Linea arcuata)ということは以前に記していた。要するに前葉は後葉より、より下方にまで続いている訳だ。それがどうしたと言いたいが、まだ我々にはその重要性がわからない。
前葉の下端付近では裏に錐体筋という三角形の小さな筋が付着しているが、これはカンガルーなど有袋類の袋の骨についている筋に相当するのだそうだ。
弓状線より下方では、後葉は存在せず、ここで腹直筋は薄い横筋筋膜という膜のみを隔てて、腹膜と接している。高久はまだ戻ってこない。どこかの班で話し込んでいるのだろう、以前にも何回かあったことだ。
次に腹横筋の筋腹を、筋線維の走る方向と直角に切断線を入れる。下層の横筋筋膜と腹膜を傷つけないように気をつける。これらは腹横筋に接着している具合なので、ともすると一緒に切開してしまう。
切開した腹横筋を左右へ開くと、横筋筋膜を通してその向こうに腹膜が広がっているのが見える。その向こうにはいよいよ胃や腸、肝臓などの内臓器が横たわっていることになる。
固定されてこわばっている筋肉は弾性を帯び、一旦左右に開いても、また閉じてくる。コッフェルではさんで固定し、腹直筋の下へ手や指を差し入れて、細長い帯のようになった腹直筋鞘後葉を浮かせる。
ネジで止めてあるような臍の部分を残して、その周囲を全て浮かせる。そして、臍の高さで水平に腹横筋、内腹斜筋の断片などがついた腹直筋鞘を切断する。
ただし、臍の周りを丸く残して。これらの操作を実行すると、臍の周りの部分が取り去られるので、臍を中心とした周囲が丘のように盛り上がって見える。
まさに出べそだな、と田上がにこりともせず呟いた。そのとき、高久が戻ってきた。遅いじゃないか、と誰からともなく非難したが、それに答えもせず、慌ただしく彼は話した。
ニュース、ニュース、大ニュース。今度解剖学実習の中間試験があるかもしれないんだって!
解剖学で、中間試験なんて今まで聞いたことないぞ。
田上が疑問を呈する。高久の説明によると、今まで解剖学で中間試験は行われたことはないが、今年の学生、すなわち我々はこれまでの成績が例年になく悪いので、教授会か何かで検討されているという噂が、どこからともなく生じているらしい。
冗談じゃないよ、皆が口々に繰り返した。