小学生全集

戦争が終わったばかりで子供の本の出版など思いもよらない時代に、私は読み切れないほどたくさんの本を持っていた。

その頃私たちは戦後の混乱を避けて、三浦半島の漁村にある父の伯母の家で暮らしていた。りっぱな長屋門を持つ地主屋敷だが、後を継いだ息子もその妻も亡く、大きな家には大伯母と孫の俊次さんしかいなかった。

目の前の海では魚が、背後の台地では野菜が取れた。自然に恵まれて、私は伸び伸びと幸せな毎日を送れる筈だった。

ところが戦中戦後の無理がたたったのか、二年生の秋に風邪をこじらせて寝込み、学校に通えなくなった。

おまけに肺病だという噂が立ち、友だちは寄り付かなくなった。独り淋しく寝たり起きたりの毎日を送っているとき、俊次さんが母屋から何冊も何冊も本を運んできた。

最後に専用の本箱を持ってくると、

「昔親父が買ったんだ。だれも読みゃしないから、全部あつこちゃんにやるよ」

と言った。

「タケちゃんのだな」

と父が中の一冊を手に取って懐かしそうに呟いた。タケちゃんというのは俊次さんの父親で、父には従兄にあたる。

大正時代、中学生の父はこの家によく遊びに来た。納戸にはタケちゃんの蔵書がずらりと並んでいたという。近松や樗牛など日本文学ばかりか、フランスやドイツの翻訳小説まであった。

父が遺した身辺雑記にこんなくだりがある。

「タケちゃんは親しみのある人物だった。一高を受験したが、不幸にも結核に罹り、以後療養転々、才能はありながら為すこともなく他界した。読書家で、私の読書遍歴に大きな影響を及ぼした」

私がもらったのは子供の本だった。人形一つ、おもちゃ一つなかった時代に本箱いっぱいの本をもらって、私はどんなに嬉しかったか。

背表紙が臙えん脂じと紺の二種類があって、どちらにもわかばマークに似た模様が縦にいくつも並んでいた。

漫画もあったし、日本の童話はもちろん、西洋のものもあった。最初のうちは父や母に読んでもらったが、忙しい大人にそうそう頼むわけにはいかない。

仕方なく一人で文字を辿っているうちに楽に読めるようになり、私は物語の世界に入り込んで登場人物と友だちになった。中でもいちばんのお気に入りは、『三匹の子ぶた』だった。

転げ回って遊べるようにと泥の家を欲しがった子ぶた、キャベツの家をもらった食いしん坊の子ぶた、レンガの家を所望した堅実な子ぶた。それらの姿は半世紀以上を経てもはっきりと目に浮かべることができた。

『不思議の国のアリス』も繰り返し読んだ記憶がある。その後も、父の仕事の都合で転校を繰り返し、新しい学校に慣れるまでは、これらの本が唯一の慰めとなった。

そんなに大切な本なのにいつのまにか一冊もなくなって、或るものは鮮明に、或るものは幻のように、切れ切れの断片として頭の中に残るだけになっていた。