そして驚くほど東京に似てきてしまいました。江戸時代では望まぬ結婚を強いられる慣習もあったでしょうし、今日の社会では結婚をリスクと捉える人の割合も増えているなど、さまざま状況の違いはあるかもしれませんが、「地方」の東京化とでも呼べる状況も、婚姻率低下の背景には隠れているのではないでしょうか。
「地方」の東京化が、その地方にとって幸せなことなら問題はないのですが、今日の状況からは、とてもそうとは言えそうにありません。
もし、これまでのあいだ「地方」と「都市」が相互補完関係にあったのだとすると、地方消滅は都市消滅に結び付きます。
「地方」の衰退というものがあるとすると、「地方」が変わってしまったことと同時に「都市」(ここでは東京と言っても良いでしょう)が変わらな過ぎたと言えるかもしれません。
「地方を守り、東京を変える」ことが私たちに求められているのだと思います。
都市の力と地方の宝
「都市間競争の時代が始まった」。
私が学生だった1980年代、都市環境の授業で確かにそう教えられました。
そこでの「絵になる都市」が勝ち残る時代という予言はその後、その通りになりました。しかし2000年代以降の状況を振り返ってみると、都市間競争という枠組みは瞬く間に乗り越えられてしまっていたようです。
20世紀の都市間競争という概念には、国境や国民国家単位での金融やテクノロジー、先端技術のパワーや、産業分野ごとの市場の枠組みが無意識に組み込まれていました。
今日の、リアルな観光やスポーツにまで広がっている国際間競争の実像は、あらゆる境界を超える広がりと流動的なダイナミズムを伴っており、都市間競争という点と点の関係では捉えきれません。
とはいえ、基本単位としての「都市」の競争力の問題は、相変わらず重要な問題です。競争に強い「都市」の在り方について考える時、シンガポールは良いベンチマークです。
「都市」というスケールに制約された生産力、付加価値、魅力、仕組みが、どれくらいの社会的、経済的成長のポテンシャルを備えているかについてのモデルとなるからです。