オンライン会議によって、日本の会議の特徴が再認識できたともいえます。日本は襖(ふすま)文化ともいわれ、引き違いの襖障子の向こう側の人間の息づかいや動きを察しながら暮らしてきました。日本人の感性は非常に繊細で、人を思いやり、おもてなしの文化を育んできました。源氏物語や枕草子に見られる人物描写によくあらわれています。

しかし、こうした極めて繊細な感性は、欧米型のドライなビジネスにはなじまない面があります。海外の人間との会議では、彼らは遠慮なくさまざまな質問をしてきます。しかし日本人はほとんど質問をしません。国際会議で質問しない日本人の姿を怪訝に思う外国人が多いのですが、これは日本人がものごとを何も考えていない、考える能力がないということではありません。

日本人が、自分の意見を言わないのは、意見がないからではなく、意見があるからです。その意見が、自分を隔てた上司や同僚の感性になじまないのではないかと考え、そうした繊細な感性が押し黙らせるのです。

私は前著、「確実に利益を上げる会社は 人を資産とみなす」(幻冬舎)で、日本のいたるところで行われている会議の大半がうまくいっていない現状について触れました。日本以外のほとんどの国では、たとえ上司、部下の関係であっても、上司の意見に合理性がなければ、部下は上司に意見を述べます。

しかし、日本の著名なある大手企業の会議では、会議をする前に、すでに結論が決まっており、「部下に意見を言わせない」ことがしばしばであると聞きました。

これは私たちの日本文化に由来します。