初めて京都に赴き、ご厚意でゼミに参加させていただいたおり、河合隼雄先生に傾倒していることが伝わると、「『カウンセリングマインド万能論』を広めた張本人」というような厳しい指摘が言い放たれた。その場では呆気にとられる気持ちになったが、その後、じっくりと考えてみると、おっしゃりたいことは何となく理解できるようでもあった。
その当時、不登校が問題化しており、その対応として、「登校刺激を与えない」というスローガンが主流となりつつあった。その根底に「カウンセリングマインドを用いた教育相談を行ってさえいれば、子どもは良くなる」という幻想がちらついていたことも確かなように思われる。
しかし、1992年に出された『子どもと学校』(岩波新書)において、河合隼雄先生は次のように述べられている
「『登校刺激を与えるべきか、否か』などと一般的な議論をしても始まらない。無理に行け行けと言ってもあまり意味がないが、言った方がいい場合もある。考えてみると、人間一人一人異なるし、それを取り巻く環境も異なるのだから、画一的な方法があるはずがない、とも言えるのである。」(136ページ)
そして、「カウンセリングマインド万能論」が広がりつつあった3年後、『臨床教育学入門』では、それを学校現場で実践の基盤にしようとする教員を「カウンセリング好き」と称して厳しく戒めている。
「『カウンセリング好き』と称せられる人たちの独善的な傾向によって現場の人たちが悩まされることがあったと思う。このような危険を防止してゆくためには、自分自身が積極的に主観的に関わっていった現象を、どこかの地点で客観化したり、そこから得られた知見を体系化して、他に示して批判をあおぐことなどをしなくてはならない。このような意図を持って、臨床教育学という発想が浮かびあがってきた。」(10ページ)