潤子の楽しみ
「あなた、始まるわよ」
潤子の声が耳に届かないのか伊佐治は生ビールをグイッと喉に流し込んでいた。大きな拍手が鳴る中、物まねタレントのジャンクアップが舞台に登場していた。
ジャンクは元々、「玉ネギとピーマン」のコンビ名で漫才をやっていたのだが、テレビやラジオに出演する機会もなく、スーパーの祝賀会やイベントに呼ばれた先輩芸人の前座として声が掛かる程度で、収入はないに等しかった。ジャンクにとってはコンビニや居酒屋でのアルバイト収入が頼りで、当然のようにコンビは自然解消していた。
その後、新しくできたプロダクションから声が掛かり、入社と同時に芸名をジャンクアップと変え、ピン芸人として再スタートすることになった。容姿が何処となくジャッキーチェンに似ているからと、事務所が付けてくれた芸名だった。
しかし、新しい事務所に所属した当初はジャッキーチェンのカンフーの真似を売り物にしていたが、年齢とともに体が硬くなり動きにキレがなくなった。あげくに、五十肩で腕を上げるのも辛くなり、とても人前で見せられる芸ではないと限界を感じ始めていた。
丁度その時、事務所の社長から、「顔真似や歌真似ではなく、漫談一本で勝負してみないか。その際、キャラも変えた方が面白い」と提案があり、ジャンクは迷うことなく、会社の方針を受け入れオネエキャラを前面に出し活躍の場を広げていった。
「ハ~イ、皆さんこんにちは。笑わすことは苦手でも、人から笑われることの多い、ジャンクアップです。オネエキャラで頑張っています。どうぞよろしくお願いいたします」と、簡単な自己紹介からスタートした。
「頑張れよー」の掛け声と拍手に包まれ、ジャンクのショーが始まった。
「ジャンクね、今のプロダクションに入る時に社長面接があってね、その時、社長から持ちネタを披露するように言われたの。その時のネタをやるわね。『昔から鼻の大きな人はピンちゃんも大きいと言うよね。ちょっと調べて見るわね』と言って、ズボンの中を覗く振りをしてから、『本当だ』と言った瞬間に社長から、『そんな下らないネタはしなくていい』と、完全なダメ出しよ。その時のことがシマウマじゃなくてトラウマになって自信喪失病にかかっちゃったの」
「負けるな、デカチン」と、すでに酒が回り鼻の頭を赤くしている客から励ましの声が上がった。
「ありがとう」と礼を言い、下げた頭を上げようとした時、ジャンクは伊佐治と目が合った。
「あら、そこのお父さんも大きい鼻をしているわね。もしかすると、お父さんもビッグピンちゃんの持ち主かしら?」
「あら、貴方のことみたいよ」潤子は嬉しそうに伊佐治の肩を叩いた。
客の視線が一斉に伊佐治に向けられた。
「ワシか、ワシのはもはや役に立たないモンスターダラリンだ」と、赤鬼のような顔で言った瞬間、場内に笑いの渦が起こった。ビックリしたのは潤子だった。伊佐治が、咄嗟にこんなジョークで返すとは思ってもいなかったからだ。
「モンスターダラリンのお父さん、営業妨害よ。私より受けちゃったら、この後やりにくいったらありゃあしない」と、ジャンクは半分笑っていた。「申し訳ない」伊佐治は理由もなく謝り頭をポリポリ掻いていた。
潤子は、その様子が可笑しくて涙を浮かべながら笑っていた。「冗談はよし子さんよ」と、顔と手を同時に振りながらジャンクのショーが続けられた。