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気ままに、でも的確に

計画を立てるということは大切ですし、特に大きな山行となれば尚更です。山域によっては、登山口で半強制的に計画書を提出させる所もあるくらいで、その必要性や重要性を私なりに心得ているつもりです。

連泊での遠征や縦走ではPCでそれを作成することが決まり事になっているし、日帰りのハイキングなどでもおおよそのコース取りなどをメモし、リビングの冷蔵庫のドアに貼るようにしています。

計画書は、イザという時にこそその存在意義を発揮させます。何もなければ、ただの紙くずで終わります。でも、計画そのものは、どうでしょうか。

旅や山行の度に計画を立てるようにしていると、それが積み重なって、自分に力がつくように思えます。少なくとも、それを保存しておけば、もしまた同じ場所に訪れるようなことがあれば参考にはなるはずです。

特に山では、地図とにらめっこしながら、A地点からB地点までどれほどの時間がかかり、体力の消耗度はどうだろうかとか、水場があるのかないのか、危険度はどうなのかなど、自分(達)の力量・実力と照らし合わせながら無理のない計画を練り上げていく。それが実戦に活きればそれでよし、間違っていれば次回には修正すればいいのです。

これを繰り返すことによって、自分の身とし血とするのです。例えばリーダーがいる場合でも、計画書をもらったら地図で確認してみて、自分の単独行のケースを想定してみるのも面白いし効果的かもしれません。

時には歩行時間の総合計を計算間違いし、シッペ返しを受けることもなくはない。そういう反省は反省とし、繰り返さないようにします。泊まる予定だった山小屋が事情で営業していないとか、そういうハプニングが山行中に突然発生することもあり、最悪の場合には山行を続行させられないことだってないとはいい切れません。念には念を入れ、事前に確認するのも怠らない方がいいでしょう。

今やネット社会ですから、そうした情報も入手し易いといえるでしょう。

ある程度山で鍛えられると、一般的な旅ではかなり手が抜けます。もし危機が訪れても警察や救急車を電話1本で呼べるし、疲れたらバスやタクシーに飛び乗ることも可能です。バテバテだろうが身体の何処かが痛んでも、山では自力で降りてこなければ終わりません。仮に何等かの手助けを必要としなければならなくなった場合、もしかしたら高額な費用が必要な事態にも陥りかねません。町中だったら水分にしろ酒にしろ、食料だって衣類だって、手に入れるのに多大な苦労はしないで済むでしょう。

それに、普通の旅であったら、計画も柔軟で大雑把なものでいいはずです。おおよその柱を設け道筋はつけつつも、気まぐれや急な方向転換も、禁じ手にはなりません。山ではしてはいけないこと、ひょっとしたら命を落としかねないような急展開も、下界では往々にして許されます。

その一例・好例となるのかどうかは不明ですが、私の経験が活きた、機転が利いたと思われる話をここで挙げてみることにしましょう。