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夕陽が物語る始まりと終わり
「雲がかかっていないと、ここから富士山が綺麗に見えるんだよ」
お客様が全員退出した後、残客がいないか水面付近を点検していた時に競艇場の職員がそう話しかけてきた。
「そうか、私は富士山が見える職場にいるんだな」
ふと不思議な気分になった。東京で暮らしているという実感が湧き起こり嬉しくなったが、考えてみると東京へ来て一年以上が経つのに生活は全く安定していない。
これだけ働いていても安定しないのは、積み重ねるということが不得意だからだろう。ただ、東京で暮らすという夢が実現しただけだ。人間関係も、仕事も、経済的にも、私は頑張り過ぎて破滅するというサイクルから抜け出せずにいる。
何をやっても続かない。燃え尽きるというわけでもない。何故か破滅へ向かってしまうのだ。恐らく、信頼のあとに来る失望というものが原因だ。自分が思い描いていた世界とは違うとわかるに連れて、私の心は破滅へと向かう。信頼があるから失望がある。
その心に再びエンジンをかけるためには、新しい環境に身を置くしかない。そうやって住居も職も転々としてしまう。
人間関係に於いてもそうだ。私には放浪癖がある。何かに行き詰ると必ず別の空気が吸いたくなり、遠くの空ばかり眺めるようになる。
目的もなく当てもなく、希望だけを胸に秘めてどこかへ行くという行動。それは私に元気を与えてくれるものの、気が付くと帰る場所さえ失っている。
地に足の着いた生活ができずに、どこまでも流されている。自らそういう生活を望んでいるわけではないが、気が付くと同じことを何度も繰り返している。
「これからどこへ行こうかな」
雲がかかっていなければ富士山が見えるという空を眺めながら、そう思った。
競艇場へ通う日々が終わったとしてもこれといってやりたい仕事があるわけではないが、生活のためには何か探して働くしかない。家賃を払い、光熱費を払い、煙草を買い、酒を飲むために、何故こんなことを繰り返さなければならないのかと思うと虚しくなる。
競艇場の待機室には、うちの会社の求人広告が載っている新聞のコピーが置かれていた。時給も日給もでたらめ。「この大嘘つきが」私達は皆、これに騙されてこの場にいるのである。もはや笑うしかない。
それでも、騙された結果この職場の仲間に出会えたのだ。流れ流れて、私がこの最果ての地へ辿り着いた意味を考えなければならない時期に入った。誰かと出会うためだったのか、何かを学ぶためだったのか。