日は長くなり、仕事後に見る夕陽は始まりと終わりを物語っているようだ。皆の笑顔は少しずつぼやけ、皆の声は少しずつ遠くなり、大勢の中で私は急に孤独を感じ始めた。
「これからどこへ行こうかな」
友情を築き上げるには少し短かったような気もするが、友情などと語ると、
「それは橋岡さんが寂しい人間だから、出会う人を信頼し過ぎているだけ」
などと言われるのだろうか。多くの人の笑顔を置き去りにその場から消えるのはとても残酷なことだ。
しかし私の目に映るその笑顔が偽りだったらと考えるほどわけがわからなくなってくる。自分が孤独な時ほど、人々の表情は怪しく思える。自分が幸せな時というのは、目に映る全てが美しい。
自分がホームにいれば歓喜はエールに聞こえるが、自分がアウェイにいればそれはヤジのように思えてしまう。少なくとも富士山が見える環境で暮らしていることを嬉しいと思えるのは、まだまだ旅行気分なのかもしれない。
混乱を招く淫らな女
涙がこぼれ落ちそうなのを必死で堪えて帰ってきた。空気はだいぶ暖かくなり、春の訪れがもうすぐそこにあることを思わせた。外仕事というのはこれからが楽しい季節なのだが、過酷だった冬の終わりと共に幕を閉じることになりそうだ。
慣れ親しんだ職場を離れ、仲良くなった仲間と離れることが悲しくて仕方がないのである。私が所属する会社には孤独な人間が多かった。
理由があって高齢になっても一人で生きている。年齢は違えど私も孤独な人間なので、気持ちはわかるつもりだった。人間は元気で健康なときはいいが、体調を崩し、働けない状態になるととてつもない不安に襲われる。
身内がいれば世話をしてくれるが、そうでない人間は一体誰が面倒を見るのだろう。私は過去に、過労で倒れて仕事へ行けず、頼る人もなく、絶体絶命と思われることがあった。
電話をかける相手もいない。話し相手は月に二回通う病院の医師だけだった。一日は長く、カレンダーの月日は一向に進まず、入院する金もないので部屋に一人でいることしかできなかった。