新型のうつが増えている
仕事上のストレスが原因で自分の腹を切ってしまった男性は、その後5回も休職と復職を繰り返しました。いま、彼のようにうつ病の診断を受けてひんぱんに休職する人(頻回休職者)が増えています。2000年頃までは「頻回休職」ということばはありませんでしたし、ケースとしてもほとんど聞きませんでした。
もちろん、昔から「うつ病」はあります。これは人口の2~3%の人がわずらってしまう病気で、医学的にも証明されています。しかし、現在国内でうつ病の診断を受けている人(受けたことのある人も含む)は100万人で、一説には「実際にはその3倍はいる」ともいわれています。これは人口の7~8%にも相当する人数で、明らかに多すぎます。しかも、こんなに増えだしたのは、ここ10~15年のことなのです。
私はいま急増しているのは原因不明で発症する従来のうつ病とは異なる、社会文化的背景をもった依存症に似た「新型うつ」であると見ています。
昔は、うつ病は「個人の問題」であるとされていました。医学的には一定割合の人が原因不明でかかってしまう病気ですから、その認識は間違っていません。ところが、ある出来事をきっかけにその認識がガラリと変わり、うつ病が「社会の問題」になったのです。
ある出来事というのは、2000年に最高裁判断が出た労災認定裁判です。1991年8月、大手広告代理店勤務の24歳の男性が自宅の浴室で首をつって自殺してしまいました。
男性は前年4月に入社したばかりの新人でしたが、相当な激務を強いられていたようです。家族は「息子が自殺をしたのは過労が原因である」として、労災を認定するよう裁判に訴えました。
1・2審では男性が「もともとうつ病にかかりやすい性格だった」などの理由で賠償額の減額を認めていましたが、最高裁ではそれが「判断の誤り」として破棄され、会社側の責任を全面的に認めました。
当時、日本では毎年3万人もの自殺者を出して深刻な社会問題になっており、“karoshi”(過労死)が英国のビジネス紙にも掲載されたりしていました。そうした背景もあってこの判決はうつ病と自殺を結び付け、「うつ病は個人の病気ではなく、社会全体の問題なのだ」という認識が一気に広まったのでした。
「会社が働かせすぎるから社員がうつ病になるのだ」と批判されることを恐れ、企業もはれものに触るような対応をするようになります。といっても、企業側に対応のノウハウはありませんから、実質は精神科に丸投げです。一方、社員側も「働きすぎたり人間関係でストレスがたまるとうつ病になってしまう」という認識が根づいて、少し嫌なことがあって落ち込んだり、体調不良が続くと「先生、うつ病になってしまいました。診断書をください」と相談にやってきます。
うつ病になると会社が配慮してくれ、直面する困難から逃れることができる――人間は誰しも弱さを抱えていますから、そこに逃げ道があるとわかると容易に逃げ込みたくなるものです。これはいい/悪いをいっているのではありません。制度によって救われる人が大勢いるのも事実です。ただ、それによってうつ病の診断を受ける人が、医学的に根拠をもった数よりもはるかに多くなってしまったのもまた現実です。
もちろん、なかには制度を悪用して、明らかにズル休みのために診断書をもらいにくる人もいます。企業や世間は「ズルかどうかは精神科医がプロの視点で判断して欲しい」というかもしれません。ですが、精神科の病気は詐病を完全に見破るのは困難です。
とくにうつ病の場合は「ICD︱10」(国際疾病分類第10版)という診断システムで、本人が該当する症状を訴えて2週間改善が見られなければ「うつ病」と認定する決まりになっています。血糖値やコレステロール値のように、客観的な数値で証拠が出せないところが、精神科の取りあつかう病気の難しさです。
「ICD︱10」は国連の機関が採用している国際基準であり、日本の厚生労働省もこれに則って診察するようルールを作っています。しかし、こころの病はその国その土地の社会制度や、文化風習を背景として出てくるものです。つまり、欧米社会のうつ病と日本のうつ病は、原因も症状も異なるはずです。それをグローバル化の名の下になにからなにまで統一してしまっているのは、問題があるかもしれません。