四十年以上も前のことになるが、私は三月のはじめ国立国会図書館参考書誌部宛に調査の目的と今までの調査結果を付記し、「千葉秀浦(奈曽一)の生没年関係文献について」の調査を依頼した。
十日後に「参レ第四五七号」の文書により回答があり、それによって同館には千葉秀浦の著作三点が所蔵されていることが判明した。
一、千葉秀浦、青柳有美共訳「喜劇脚本髯一つ」文明堂明治三十八年一三八頁請求番号(七九─五五○)
二、千葉秀浦、田中花浪共著「黄禍白禍未来之大戦」服部書店明治四十年三六二頁請求番号(二六─四二五)
三、千葉秀浦著「外人の観たる日本」広文堂書店明治四十年三六二頁請求番号(七六─三四五)
しかし、千葉秀甫の生没年については『日本人物文献目録』はじめ十数点を検索したが見当たらない旨の回答であった。(38)
なお参考事項として各書に次の回答が添えられていた。
一、巻頭に肖像写真あり、緒言に仏国の詩人であり喜劇作家ルイ・ベヌア・ピッカール(一七六九~一八二八)原作の喜劇をフリードリッヒ・フォン・シルレルが独逸語訳をした「デル・ネッセ・アイス・オンケル」邦訳したもので、仏蘭西文の原作も参照し、青柳有美は僅かに字句の訂正加筆をした。
二、自序によると、独人某「世界戦争」を「報知」誌上に批評すべく訳述し、同僚田中君、余の訳述を作文して一書をなした。また巻末広告頁につぎの文面がある。独逸語教授(一切個人教授)東京麴町区飯田河岸三十二号外国語学会会主千葉秀浦
三、巻頭に肖像写真あり、コピーを別添したので参照されたい。
私はこの、通り一辺でない調査と回答に接し、地方の一研究者として一入の感概をもった。著者千葉秀浦と記された肖像写真は、紋付の羽織袴を着用し、坊主頭のきりっと締まった顔立ちは壮年期の気迫に満ち痩身白哲を思わせる。
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
(35)堀内敬三著『音楽五十年史』下巻九三ページ(講談社学術文庫)
(36)小川昴『改訂本邦洋楽関係図書目録』(音楽之友社昭和四十年)によると『音楽通解』(博文館明治四十年二五六ページ図版19センチ五十五銭)、『泰西音楽大家伝』(中川書店明治四十年四一五ページ小口絵16一円)この本はベートーヴェン以下二十九人の作曲家を紹介、『世界のオペラ』(共益商社書店明治四十五年五七三ページ図版小一円五十銭)
(37)『新聞集成明治編年史』十二巻四○八ページ(財政経済学会昭和九年刊)
(38)イ、法政大学文学部研究室編「日本人物文献目録」平凡社昭和四十九年
ロ、大植四郎編「大正過去帳」東京美術昭和四十六年
ハ、稲村徹元等編「大正過去帳」東京美術昭和四十八年
ニ、故宮武外骨稿、西田長寿補「新聞雜誌関係者略伝(47)」5の項「日本古書通信」三十六巻十号(昭四十六年十月十五日揭載)
ホ、廣瀬憙六編「報和新聞小史」報知新聞社大正十一年青木武雄編「報知七十年史」報知新聞社昭和十六年は当館では所蔵なく未見
ヘ、秋庭太郎「東都明治演劇史」鳳出版昭和五十年(初版昭和十二年)
ト、開国百年記念文化事業会編「明治文化全集十四巻総索引」洋々社昭和三十一年
チ、杉浦善三「帝劇十年史」玄文社大正九年
リ、柳永二郎「新派の六十年」河出書房昭和二十三年柳永二郎「木戸哀楽─新派九十年の步み」読売新聞社昭和五十二年柳永二郎「絵番附・新派劇談」読売新聞社昭和五十二年
ヌ、「文京区史巻三」昭和四十三年就中本郷座の記事
ル、国立劇場芸能調査室編「演芸画報総索引」平凡社昭和五十二年全三冊(一般篇、人物篇、作品篇)
オ、雑誌「歌舞伎」五十七号(明治三十八年一月)~六十四号(明治三十八年八月)を中心に
ワ、「麴町区史」昭和十年