石畳を歩き、茶室へと向かっていくと、その横の垣根に朝顔の蔓が巻きつき、その真ん中にたった一輪だけ朝顔の花が凛と咲いているのです。

私は、その風情を思い浮かべただけで、ゾクゾク/ワクワクしてきます。道を極めようとした利休の数百年も前のひらめきに、想像力をかき立てられ、胸躍るというのは奇異に聞こえるかも知れません。

が、どのような道でもそうですが、極め尽くしたところにある何かは、何十年・何百年経っても色あせることがないようです。この夏、みんな一人一人が、そんなゾクゾク/ワクワクするような体験を、たくさんしてほしいと願っています。

第7章 山間やまあいの極小規模中学校にて──O中学校における学校文化考

希望の僻地小規模校へ

絶海の孤島での5年間を経て、異動希望を出した。

「僻地の小規模校で、教職員住宅に入居できる」ということを要望した。しかし、2月末日、最初に異動先として提示されたのは、僻地小規模校でもなく、教職員住宅からもほど遠い、H市の中学校だった。

まさに絶海の孤島で5年間もの長きに渡り、教鞭を執ってきた者に対しての非情な異動要請に怒りを覚え、当初の要望が叶えられるよう、校長に直談判した。顔を突き合わせて怒鳴り合ったこともあった校長ではあったが、その通りだとの理解を得て、教育委員会に再度、私の要望が聞き入られるように打診してくれた。

そのかいがあって、山間の極小規模中学校への赴任が決まった。小学校との隣接校で、校舎は隣り合わせだが、校庭と体育館は共用という、R中学校での経験が生かせる同系統の学校だった。

ただし、職員室が違っていることで、小学校の先生との意思の疎通には障壁が感じられることが少なからずあった。「空き時間」の制約は特になく、マラソンのためのトレーニングや、次章に出てくる大学院の受験勉強にも、多くの時間を用いることができた。

無論、そのトレーニングや受験勉強が学校現場での教育実践に生かせるものと理解を得られてのことである。教職員住宅は最寄り駅が近く、通勤は車で20分。自然豊かな中で快適な生活が送れる環境となった。