この国は彼には身持ちの良い、善良な若い無垢な花嫁のようには見えなかった。少し豊満な、中年の離婚した女に良く似ている。終わりが見えるからこそ精一杯生きる、好色な女性のようだった。たとえ見たところ、健康で生き生きとして魅力的だとしても、終わりの気配がする。
彼は、罪の原因の大部分が、王とテスラという二人の有名人にあると考える。なぜなら、空前の繁栄の時代であるが、セルビア王国に住むすべての年取った住民を当然のように疑い深くしてしまうからだ。
トルコ、ロシア、オーストリア・ハンガリー、そして同じく、フランス、英国といった世界の列強の利害がぶつかり合う場所にあって、それはまるで詐欺的で冷淡なカミソリの刃先にいるようなシンジェリチ王権の巧みな交渉術のおかげで、国民は過去百数年にわたって、戦争や不幸や、生活および富の毀損から守られてきた。
それと同時に国家は緩慢なテンポで辛抱強く、非セルビア的と言えるほど念入りに構築されていった。王朝の方針に反対する者は重大な政治的計画がそのようにゆっくり進むことを批判した。
まずは独立、次に、君主の地位、国会の枠組みと教育機関の立ち上げ、他の欧州先進国を参考にした君主制議会の建物、道路の整備と鉄道網に対する免許、警察と軍隊の近代化、欧州大陸の他の皇族との政略結婚によって緊密な関係を構築、以上すべての事は、農民、商人や、容赦ない工業的進歩に巻き込まれた年々多くなる工場労働者などのためのものだった。
急進的なパシチ政権は、既に十二年間農業改革で成果をおさめていた。農民は有利な条件でローンを組むことができ、ブドウ栽培とワイン生産は前例のないほどに急拡大した。
フランスのブドウの最高級品種の移植と品種改良に成功し、ジューパ、トポラやスメデレヴォ地域からのセルビア原産ワインが欧州の王室や世界中のレストランのワインセラーに納入されて愛飲された。