音源に目を向けると、竹で編んだ鳥かごに黄色いくちばしで百舌を一回り大きくしたような黒い鳥がいた。何か考えるように頭を傾げる格好をすると思わずにんまりしてしまった。
見たことはなかったが九官鳥だとすぐに分かった。
「もう飼ってから一年にもなるけどまだよう喋れんくてね」
婦長さんの身内と思えるおじさんが、切ってきた西瓜をお盆ごと出してくれた。父は用意されたスプーンで口の中へ入れてくれた。車の中で暑さを我慢していたこともあって、その冷えたみずみずしい感触が全身を潤してくれるようであった。
病院は二百五十床程度の比較的小さな建物で、事務を含めた外来棟と、二階建て四階建ての棟がそれぞれ一つずつあった。ストレッチャーに乗せられ二階の二〇二号室へ運ばれた。四人部屋で狭い気がした。
左の奥に体格のいい五十代半ば、右の奥はやや角張った顔の四十代前後、入口左は六十歳くらいの人が迎えてくれた。左奥の人は自分と同じ脊髄損傷ということで奥さんがついていた。
「青木です、よろしく」と夫婦で挨拶してくれた。
「石田です。石田九州男といい、きゅうしゅうおとこと書きます」
右奥の人が大きな目ではっきりと言ってくれた。四十にはいってないかなと思うくらい若々しかった。
「大田といいます、よろしく」
もう一人の人は、控えめな声でそう言うと横になり、読みかけていたのか週刊誌を手に取った。その夜はなかなか寝付けなかった。なんとしても、松葉杖に頼ってでも歩けるようになるまで頑張らんと、と思えば思うほど神経が研ぎ澄まされていくようであった。
日曜日、早速聡子が来てくれた。いつものようににこにこと優しい笑顔を向けたままベッドの傍に近づき、「葡萄畑がいっぱい」そっと言いながら目を見つめてくれた。嬉しさの他に感じるものは何もなかった。
目の前に立っている十九歳の一人の女の子の存在が、これほどまでに心を満たしてくれる悦びを体中で感じた。
夕方近くまでベッドの横の椅子に座り、とりとめのない話をした。時々お茶や持ってきたお菓子を口に運んでくれた。そこには動かない手足に落ち込む自分はいなかった。