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第二章 千駄木苦悩の三週間

「約半年前のスキージャンプによる事故で、クアド(四肢麻痺)の状態です。Cの五・六で胸から下のセンソリー(皮膚感覚)もありません」

主治医が言った。何を説明しているのか分からなかった。

「そうですか、リハビリですね」

と無表情に五十歳前後の医師が答え病室から出て行った。三分にも満たない時間だった。午後、小野塚が来てくれた。

「暑い、暑い、外はえらく暑いよ。伊庭、うなぎ買ってきたぞ。精をつけんとな」

「金もないのに無理すんなよ」

そう言いながらも嬉しかった。

「よーし食うか」

とは言ったものの、若干のひるみがあった。小中学生の頃、夏休みになると毎日のように川に出かけてヤスで魚突きをし、春や秋には川や沼で釣り糸を垂れ大物を狙った。

なまずや雷魚も釣った。突いたり釣ったりして死んでしまった魚を缶やバケツの中にそのままにしておいた。

次の日、白い腹部を上に逆さまに浮いているものや表面のぬめぬめしたグロテスクな形をしている魚など哀れな姿を数多く目にしてきた。それ以来川魚は食べられないようになっていたからだ。

「まだあったかそうだな、それじゃいただくか」

「うん、みんな食べてくれ。俺はもう済んだから」

と言ってうなぎとご飯を口の中へ入れてくれた。

「どうだ、うまいだろ」

小野塚は得意げに表情を確かめるように言った。

「うん」

魚の柔らかさとタレの甘さが噛むごとに口の中で溶けていった。噛んでも噛んでもなかなか飲み込めない。しかしやっとの思いで喉に通した。

じっと見ていた彼が、

「うなぎ駄目か」

とやや不安そうな声で訊いてきた。

「いや、大丈夫だ」

元気に答えて、もうひと箸口の中へ入れてもらった。さらにひと口入れてもらいなんとか飲み込んだ後に、

「悪いけどやめるわ、すまんな」

ついに断念した。

「駄目か、俺の方こそ悪かった。夏にはこれが一番だと思って」

小野塚は申し訳なさそうな顔をしていた。

「うなぎというより川魚が駄目なんだ。結講殺したんだよ、信濃川とか清津川で」

その頃の話をすると頷きながら聞いてくれた。入院してから二週間後、転院先が決まった。山梨県の石いさ和わ温泉にあるリハビリテーション病院だと主治医から聞かされた。

「リハビリテーション」とは何なのか尋ねると、失われたり低下したりした機能を回復させる訓練だと説明してくれた。併せて、その病院は東京をはじめ関東圏の人たちが多く入院しているという。

脳卒中や交通事故などで身体や言葉の自由が奪われた患者が殆どで、温泉の効用も治療に役立てているとのことであった。聡子は毎日のように来てくれた。

自分の生活もあるから時々でいいと言っても聞かなかった。山梨に移る前の夜、二人だけで話ができた。