インド派遣

三学期の始業式で平田久雄は心も晴れやかに次年度の在外教育施設派遣教員としてインドのデリーへの辞令を受けた。

発表から二日後のことである。

思いがけなく、発表の日の久雄の大きな落胆と言いようのない不安な心は、妻よう子の一言で払拭された。

「日本人の子供が住んでいるのでしょう。大丈夫よ、行きましょう」

結婚して十年になるが、よう子のまだ知らなかった部分に気づいた。お嬢さん育ちで、パリか、ニューヨークへでも派遣されるのを楽しみにしている様子だった彼女が、インドのデリー派遣を聞いて、

「私は行かない、そんな国行かない」

と、絶対に言うだろうと覚悟した。あらゆるポジティブなデリーの情報を探しているうちに、内示の当日にはついにそのことを妻に言えなかったのだ。

しかしそれをそのままにしておくわけにもいかず、もちろん辞退するなど久雄の律儀な性格ではできるはずも無く、だが、インドの情報は全く厳しいものばかりで、八方塞がりだと感じるのだった。

翌日の朝食の時に、よう子が

「パパ、昨日はお風呂も入らないでどうしたの? 風邪? 具合悪そうよ」

と、いう言葉に続けて

「ママ、一生のお願いがあるんだ。ぼくにずっとついてきてくれるか?」

よう子はちょっと顔をこわばらせた。

「どこに決まったの?」

「デリー」

よう子は一瞬

『それは、え〜と、どこ?』

という風に瞬きしながら

「インド?」

「そうなんだ、インド……」

しばらく沈黙は続いたが、

「パパ、いいわよ。どこでも行く覚悟してるから」

「ありがとう、よう子。君とメイ子を僕は責任を持って守るから」

と、喘ぐように言う久雄を見て、よう子は微笑んだ。

「パパ、日本の子供がいるんでしょ! 大丈夫よ!」

と答えていた。久雄はこの時ほどよう子を頼もしく思ったことはなかった。学校では久雄のインド行きを誰もが驚き、

「平田先生、大丈夫ですか?奥さんは?」

「メイ子ちゃん、まだ小さいですよね、あの国は汚いんでしょう」

とか

「平田先生には一番向かない国のような気がしますが……」

などいろいろと心配されたが、その時の久雄にはよう子が素直に愛娘メイ子と一緒についてきてくれるということが、何よりも強みになっていたのだ。

出発までは三ヶ月を切っていて、これからの準備の大変さを想像するだけでため息をつきそうになったが、久雄はよう子とそれに向かって進んでいく心構えがしっかりとできていたのである。

片山美沙と平田よう子は同じデリー派遣教員の妻として霞が関の国立教育会館の研修室で会った。同時期に派遣される様々な国への健康管理の注意点などが医師等によって説明されるのだが、インド、ここほど、健康管理が危ぶまれる場所も少なかった。