翌日も午前中に南禅寺に出かけ、大方丈の縁側に座ってノートを開いた。
庭は昨日と変わらず白く光っていた。時間が経つにつれて拝観客は増えてきたが、ぼくはそこにしゃがんだままでいた。ぼくは自分に問いかける。
自分はいったい何を求めてここに来て、この縁側に座っているのだろうか。
白砂の流れや、木や岩の配置。借景となった東山。ここに座り、もう何度この景色を眺めたことだろうそれなのに、この庭について語る言葉をいまだにぼくは何も持たない。
ぼくはここに座りながらこの庭のことなど見てこなかったし、現にいま目の前にあるのに何も見ていないのかもしれない。
ぼくは今日まで少なからぬ人と出会ってきた。しかし、どういう出会いであれ、出会った人とのかかわりを深くするという努力をぼくはしなかった。
深めるどころか、深くならぬようにとむしろ努めて避けてきた。相手の心のなかに踏み込むこともなければ、相手を自分の懐に引き入れることもなく、自分が傷つかぬ距離をつねに相手とのあいだに取っていた。
煩わしそうなつきあいは極力排除し、気楽なつきあい、表面的なつきあいに終始した。そうして仕事上の関係が途切れるなどして、かかわり合わねばならない積極的な理由がなくなると、それきり交渉を放棄した。それがぼくの人間関係の常だった。