働くこと=雇用されること

当然の帰結ではありますが、現在は第三次産業の比率が高くなっています。そのため多くの人は、第三次産業に雇用されて、働くことになります。

【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない

「就活」に代表されるように、若者が社会に出ること=被雇用者として職に就くこと、と認識されています。それも多くは、製造職や技術職ではなく、企業の事務関連職です。

そして希望は「よい会社」です。「よい会社」は、安定した大企業でお給料のよいところです。現在はお給料がすべてでもなく、残業が少なくて休みが多いなども「よい会社」の基準になっているようですが、とりあえずはそういう会社に雇用されたいのです。直截に言ってしまえば、自分の労働の対価としてより多くのお金を手に入れ、残業少なく休み多く、自分の私的な時間を増やし私的なことに費やしたい、私的な消費に充てたいということです。

身もふたもない話で申し訳ありませんが、発達障害と診断された人の職業相談で、求人を探していました。すると「これくらい(の仕事)なら、ガマンできます」と言いました。あとはゲームなどの自分の趣味に費やせたらいいと話しました。

労働は、消費のための手段になったのです。

労働による「自己実現」など死語の世界です。

マルクス的に言うならば、労働は資本に搾取され自己と労働という主体的な関係から疎外されることが問題でしたが、いまや、利益の原資となる消費に、自らを提供するために労働している、それで十分だと思うように慣らされてきているとさえ思ってしまいます。