「アイヌの人たちの服が素晴らしい。すごい模様です。これなんか、晴れの日に着られる服で、切り伏せした布や刺繍なんかで、渦巻きのような模様や括弧文といわれる独特の文様が施されています。文様は地域によって様々で、母から娘へ伝えられたそうです。そしてこの文様には、魔除けの意味があるのだそうです」
「本当に、すごい模様。素敵です。これらが、口伝えでなされてきたことがすごいですね」
「そう。文字で残されてこなかったらしいです。今ではこうして本になっているけれど、それでもきっと、アイヌにしかわからない、僕たちが知ることのできないたくさんのことがあるのだと思います。そして全てにおいて何一つ、意味のないものなんてないし、なんとなく作られたり、信じたりすることはないのだと思います」
私はそれからまた数ページめくって、この本を借りることにした。
「急ぎません。ゆっくり読んでください。あなたは、民族の思想に、興味がありますか? ほとんどの民族には独自の信仰があり、神や自然を深く信じています」
私は重たい本をそっと閉じた。
「はい。興味があります。あの、私幼い頃、少し神経質で、度々変なことを言って、母を困らせました。中学生の頃に、自分の部屋のベランダから声が聞こえたんです。夜になって私が部屋に入ると、男の人がハアハアと、息を荒くする声が、繰り返し、繰り返し聞こえるのです。
最初は何か、どこか外で、誰かが声を出しているのかと思いましたが、私の家は団地の5階でした。うちは角部屋で、隣はお婆さんの独り暮らしでした。だから、ベランダのすぐそこで、息を吸ったり吐いたりする声が聞こえるはずはない。
私は恐ろしくて、どうやっても聞こえてくるその声が、耳に張り付くみたいに感じました。そして、1週間ほどそれが続いて、私は恐ろしさで自分の部屋に入ることができなくなった。するとある夜から母が、人に聞いたからと、お祓いを始めました」
私は自分の幼少期の出来事を、出会って間もない彼に話していることを不思議に思っていた。