三歳になると言葉が出るのを諦めた。

子供の脳の発達は三歳位で固まってしまい、それまでに言葉が出ないと、一生発語はないと聞いていたからだ。

それにしても、食事の時や、遊んでいる時など「パパ、ママ」などと聞こえる時がある。私たちは大喜びで「ショーくん、もう一度、もう一度」と促すが、我々夫婦の空耳か、二度と話してはくれない。やはり空耳である。私たち夫婦の夢。それは一度でも良いから名前を呼んで欲しかった。「お父さん、お母さん、パパ、ママ」と。

妻は悩み込んでいた。この子を背負うことはできない。重すぎる。夫は仕事、仕事と言って毎晩遅く、飲んで来る時もある。相談する暇もない。いっそ子供を道連れに死んでしまおうか。

妻は近所つき合いも苦手で、マンションのホール脇等で井戸端会議をしている奥さんたちの中にうまく入っていけない。

妻は発散させる方法を知らない。全てのストレスを背負い込んでしまい、そのマイナスのエネルギーは自分の心の中心に向かい、生きていくエネルギーを奪ってしまった。

「つまんない、つまない。何をしてもつまんない」

と言うようになった。そのうち妻の顔から表情はなくなり始め、化粧すらしなくなった。外出するときも格好など気を使わなくなっていた。

私は、妻の異変には気づいてはいたが、何をどうしたら良いかわからず、ただ、心配だけをしていた。

今であったらその病気の怖さ、恐ろしさ、対応の仕方がある程度分かるが、その時は仕事以外本当に無知であった。