* * *
「――なんだ、君か」
「なんだとはなんだ」
「君が来ると何か良くないことが起こりそうな気がするのだよ」
実際学生時代には何度も何度も面倒事に巻き込まれているしね、と笑いながら告げる友人に返す言葉もなく、彼の後について中へと入った。相変わらず客足はないようで、閑古鳥が鳴いている店内を抜けて居間へと向かう。そして居間へと着くと、すすめられるがままに、薄い煎餅のような座布団に腰をおろした。
少し古風なしゃべり方をする友人――友人は私のことをただの知り合いだと言い張るが――は私を一瞥すると読んでいた本を閉じて奥の方へと引っ込んだ。
「珍しいな。君がすすんで茶を煎れてくれるなんて」
「今日は千華(ちか)がいないのだ」
「とうとう愛想尽かされたか」
「馬鹿なことを言うなよ。紗智(さち)を連れて実家に顔を見せに行っているだけだ」
「そうか」
私が茶を飲みながら茶化すと友人は不機嫌そうにムッと顔を顰(しか)めた。友人の煎れた茶はぬるい上に薄かった。いつも友人の細君が煎れてくれる茶とは似ても似つかぬ味だ。正直、お世辞にも旨いとは言い難い。
※本記事は、2020年12月刊行の書籍『水蜜桃の花雫』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
登場人物
吉川(きっかわ) 小説家 「私」
御巫(みかげ) 古書店を経営 博学
由津(ゆいづき)木 俳優 時代物を得意とする
港(みなと) ベンチャー企業を一代で築き上げた凄腕
都竹(つづき) 警視正
《水蜜桃の花雫》
お幸(ゆき) 近江屋の主人の孫娘 跡取りとして育てられる
藤七郎(ふじしちろう) 近江屋へ奉公に来た青年
与七(よしち) 近江屋の主人
お吉(よし) 近江屋の女将
佐助(さすけ) 近江屋の番頭
お菊(きく) 近江屋へ引き取られた元舞妓
お弓(ゆみ) とある農村の大地主の娘 近江屋へと嫁ぐが双子を生んだため離縁される
《薔薇の花影に約束を込めて》
高峰(たかみね) 倫也(みちなり) 日本帝国海軍中尉 元華族
美波(みなみ) 百合子(ゆりこ) 倶楽部〈青い満月〉で雇われている踊り子
四条(しじょう) 倫也の上司
信濃(しなの) 〈青い満月〉のボーイ
美波(みなみ)博理(ひろみち) 百合子の兄
美波(みなみ)直哉(なおや) 百合子の父
高峰(たかみね)善造(ぜんぞう) 倫也の父