京都
「こんどね、彼女が入っているオーケストラの練習に参加させてもらうの。江古田(えこだ)にそのオーケストラのたまり場のお店があるんだけど、そこで飲んだときに、メンバーの子たちから一緒にやろうよって誘われて。みんな、もちろんまだ学生なんだけど、気が合う子ばかりなの。年末の定期にはドヴォルザークの八番をやるんだって。甘いメロディーをふんだんに、それこそ紙吹雪みたいにまき散らしたような曲。フルートの出番もけっこうあるの。せっかくのチャンスなんだし、この機会に本格的に吹き直してみようかな」
そう瞳を輝かせる典子の、その瞳のどこを探してもぼくのすがたを見つけることはできなかった。その日、典子の口からは、さびしかったとか、会いたかったとか、そんな弱気な発言は一言も聞かれなかった。
後悔めいた言葉もなければ、ぼくを責める言葉さえなく、それが、すでにぼくとは無関係に流れている典子の日常を物語っていた。典子は未来に向かって軽やかに、そして、着実にステップを踏んでいた。
一方、ぼくのほうは相も変わらず過去に執着しつづける自分だった。自分の気持ちとは裏腹に進んでしまう現実にとまどうばかりの自分だった。どうしたらいいのだろうと方途に迷い、幼子のように泣き出さんばかりの自分だった。
そんな自分を糊塗するために、ぼくはことさらビールを重ねた。それでも、典子の目に映るだろう自分のすがたの卑小さは痛いほどに意識された。