しかし、店をしっかりと切り回し地元の行事にも積極的に手を貸して港町の女傑と評判の智子も病気には勝てなかった。嫁ぎ先から出戻り美紀が店に出るようになって十年ほどが経った頃だった。

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「少し背中の腰辺りが痛いんや。鈍痛だったりキリキリ痛んだり。歳かねえ」

智子は亡くなる一年ほど前からそう言いながらよく右手でそこをトントンと叩くようになった。その痛さが、美紀が無理に受けさせた病院の検査で膵臓にできた癌から来ていることがわかっても入院する直前まで美紀に朝食を用意してくれた。病を患う身になりながらも最期まで母親を務めようとした片親の意地だったのか母性としての本能だったのかよくわからなかったが、美紀には涙が出るほどに有難かった。

漁火は、昼間は喫茶店になっていて午後の七時からスナックに切り替わる。美紀は、喫茶店を週に二度ほど休んでは智子の入院している鵜方の県立志摩病院に通った。担当の医師から他の臓器にも転移が見られ、手術もままならぬ手遅れの膵臓癌でよく持って半年だと美紀にだけは知らされていた。

「美紀、漁火の方は大丈夫かえ?」

点滴の針を腕に刺し、少し黄疸の出た顔で美紀が見舞う度に智子は同じ事を繰り返し心配した。

「だめ、放ったらかしよ。早く良くなって手伝って」

美紀はベッドに横たわる母の頭をそっと撫でながらいつもそう言った。その度に見せたくない涙が美紀の頬を伝った。

その日は志摩地方には珍しく朝から雪花が舞っていた。美紀が病室を訪ねると、点滴には繋がっていたが体調が良いのか智子はベッドに上半身を起こして座っていた。「外は寒いのに調子良さそうじゃない。退院も近そうね」

洗って持って来た下着の替えをベッド脇の枕頭台に仕舞いながら美紀は智子に軽口を叩いた。

「たまにはこんな日もあるのさ」

智子は打たせたモルヒネが効いているのかいつも浮かべている痛さに引き攣るような表情もなかった。

「喫茶店もスナックも商売は順調よ。でも、知っての通り壁紙やら何やかやとガタがきているわ。少し手を入れようかと思っているの」

「あれを始めてからもう二十年以上も経つからね。安普請の家やったけど、お陰で人並みの生活を続けさせて貰うことができたよ」

智子は美紀から視線を外し病室の窓からちらつく雪を眺めながらそう言った。

「それはお母さんの頑張りがあったからよ。感謝しているわ」

美紀がそう言うと智子は照れたような力の無い微笑みを浮かべた。外で舞う一月の雪が無意識にそうさせたのか美紀はふと母に訊ねてみたくなった。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。