京都
その日、待ち合わせ場所の飯田橋駅で、人混みを離れた橋の上から改札を出てくる典子を待った。梅雨が明けたばかりの西の空は真っ赤に染まり、そのなかに新宿方面のビル群が切り絵のようにくっきりと黒く浮かぶのを、ぼくはいくどとなく首をまわして眺めていた。
五分遅れて着いた典子を、ぼくは一瞬見ちがえた。背中まであった長い髪は肩の上でばっさりと切られ、ノースリーブの黒いワンピースが小柄なからだをつつんでいた。流行の服で着飾る典子をぼくはそのとき初めて見た。
神楽坂のバーで、ぼくたちはビールのグラスを合わせて乾杯した。典子は一口含んでおいしいと言ったが、ぼくはおいしいと言えなかった。三か月ぶりに会う典子はきれいになっていて、そんな典子の顔を面と向かって見られなかった。
「新しい生活には慣れたかい?」
ぎこちなくぼくは訊く。
「おかげさまでうまくやってる。いまは精神的にすごく楽なの。仕事のほうは小さい会社だから相変わらず忙しいけど。そうだ、思いがけないことがひとつあってね、となりのマンションにピアノ科の音大生が住んでるんだけど、朝は彼女が弾くドビュッシーで目を覚ますのよ。ちょっとできない生活でしょ」
典子は小さな笑みをつくり、右耳のイヤリングを指先でつまむ。自分の知らないそんなしぐさに、ぼくはかるい目まいをおぼえる。