一つは風間の性格である。彼には、一人の女を自分のものにしたいという所有欲が欠けていた。いろいろと苦労を積み、人生経験を重ねてきた後でも、所詮は淡白な男だった。結婚して子供を生むということが地面に根を生やして生きることだとしたら、彼はいつも風に吹かれて漂っていた。

二つ目は(これが一番の障碍だったのだが)、二人が不釣合いだったことだった。風間が浮草稼業をしている男だったのに、香奈はK大学社会学科の助手だった。風間の収入はほとんど香奈の半分に過ぎなかった。香奈が、大銀行の役員を勤めた村上家の娘だったのに、風間は高度成長の頃地方から出てきた、普通のサラリーマンの息子に過ぎなかった。それも、両親が相次いで亡くなり、今では親戚すら持たない天涯孤独な身の上なのだ。

最後の三つ目だが、これは当人たちすら口にするのをはばかっていた。香奈が短い間小林と付き合っていたことは風間もうすうすと知ってはいた。香奈も記憶の中に小林の像を今でも引きずっていた。その小林は、あれからすぐ、在学中に結婚し、それからわずか三年後に一人息子を残して、謎の自殺を遂げてしまっていたのである。

最後の、プラス一つ。これは風間本人が気にしていることだ。香奈には話したことがない。

香奈との再会からしばらくして、風間はふと体の不調を覚えた。医者に行くと、心臓に不整脈があった。精密検査したところ、軽い弁膜症があるという。

「日常生活には差し支えないが、無理はしない方がいいね」

医者に言われて、風間は暗澹たる気持ちになった。

「特に、激しい運動は止めたほうがよいね。いきなり、倒れることだってありうる。まあ、気長に養生していれば、命に別状はないし、普通に仕事できるのだから」

医者は慰めのつもりで言ったのかもしれないが、これは慰めになっていなかった。だいたい、芝居の役者は運動選手と同じで、体力が勝負だ。三十代から運動厳禁では話にならない。だが、命は惜しいし仕事もやめられない。風間は仲間の劇団員に事情を話し、しばらくの間手伝い程度で勘弁してもらうことにした。