インドについての私の感想
インドにおけるポリオの実態、およびコールドチェーン調査の旅も終わりに近づきましたが、堀内公使の最後の言葉が印象深く残っています。公使は、
「インドの文盲率は六〇%と確かに高い。しかし、宗教を通してカースト制度の中で知識は豊富であり、我々の常識では律することができないことが多くあるにしても、決して無知だと一方的に片づけることのできないものがあります。表向きだけでこの国を評価してはいけない」
と申されました。
生命の尊厳を守るため、ポリオから幼い命を救うことも崇高な行為ですが、この国では人口対策が急務であることは、現地を見て実感したところです。外国に対する援助は感傷的側面があってはならず、その国の国内的背景をも考慮して実行に移さなければならないことも痛感しました。
このポリオ・プラス活動も撲滅大作戦も、同時にインドの人口問題と食料問題をあわせて解決しなければならないと思われました。
世界人類の貴重な遺産である古代の数々の遺跡が今、崩壊の一途をたどっています。古代文明の発展とその保存への支援は、インド全国民がこぞって拍手を送るであろうと物静かな口調で話された公使の言葉が、私たちの今後の支援活動に一つの大きな示唆を与えてくださいました。
およそ一ヵ月にわたるインドの旅が終わろうとしています。あの炎熱の南インドから、今、肌寒いニューデリーの街角に佇(たたず)み、一つの大きな責務を果たした満足感と、世界各地の貧困層の人々への支援のあり方について改めて考えさせられ、心地よい疲労感を覚えていました。
いよいよ明日は、ネパール、カトマンズへの旅です。夢にまで見たエベレスト、アンナプルナ、シシャンパンコの眺望、パノラマの世界をこの目に焼き付けにまいります。
7 ポリオ青年、チャンドラ・セカランさんとの再会
チャンドラ・セカラン青年の来日
ポリオ後遺症で悩んでいる南インドのチャンドラ・セカラン青年と、沖縄での再会を約束してから、早くも半年が過ぎたある日、コインバトール東ロータリークラブ(Coimbator east Rotary Club)から、突如一通の航空便が舞い込んでまいりました。
「本年度の当ロータリークラブの重要なテーマとして位置づけしている、チャンドラ・セカランさんを日本に送り出す準備を着々と進めている。ついては、日本における身元引き受けと、医療目的の証明書を発行していただきたい」
という旨の内容でした。
いよいよ、私にとっては初めての国際的な医療活動のスタートです。
インドでは、若者の出国に当たっては外資の持ち出しを含めて出国手続きが極めて厳しく、我々の想像を絶するところのようでした。
その後、外務省や在マドラスの日本領事館、インド航空並びに日本航空との数回に及ぶ困難な折衝の揚げ句、一年がかりでやっと出国許可が下りたという朗報が届きました。
インドにおいては万事が悠長であり、特に南インドへの通話は数時間待ちが常識で、航空便は一〇日も要する始末でした。常に時間に追われた生活を余儀なくされている我々には、まるで異なる次元の世界のようでもありました。
一九八九(平成元)年九月七日、南インドの多くのロータリアンの善意と各航空会社のご厚意により、チャンドラ・セカランさんが十数時間に及ぶ空の旅の疲れも見せず、やや緊張した面持ちではあるものの、一人で、しかも、おそらく自家製と思われる粗末な車椅子で那覇空港に到着し、沖縄のロータリアンや私たち病院職員の歓迎を受けました。
南インドで診察して以来、私とは一年半ぶりの再会です。
リハビリテーションに支障のないように、日本入国までには、少なくとも体重を一〇キログラムは減量してくるように申しつけていましたのに、一向に減量の成果が見られず、優に一〇〇キログラムを超えた巨体のままでした。
リハビリのスタート
いよいよ、インドでの約束通り、向こう六ヵ月間の当院における、リハビリテーションによる機能回復のチャレンジが始まりました。
沖縄滞在中の生活費、入院医療費を含めたすべての経費を私たちがボランティアで引き受け、可能な限りの術を尽くしてリハビリを援助し、願わくば、チャンドラ・セカランさんが自ら両脚で闊歩して、故郷インドへ帰国していただきたいと心から念じ、機能訓練の第一歩を踏み出しました。
下半身に大きなハンディを背負っている彼の、今後のリハビリの成果は、ひとえに“自らに対する飽くなき闘いである”ことをあらかじめ強調し、スタートに当たっての固い決意を促しました。
故郷から数千キロメートル離れた異郷の地で、日常の生活習慣をまったく異(い)にする環境の中での療養生活を余儀なくされるわけですから、彼のメンタル面を十分に配慮したうえで、最も効率のよい運動メニューを私が作成し、マンツーマンで実践しました。
特にヒンドゥ教徒としての戒律の厳しい宗教上の問題や、ベジタリアンである彼への食生活の配慮、日常で最も大切なコミュニケーションを良好に保つための、言葉のハンディキャップの問題をはじめ、さらには、一〇〇キログラムを超す体重のコントロールを目的とした食事メニューの検討等々、厳しい条件が山積していました。