その結果はというと「○○村地方創生室」なる組織が設けられたり、施策もまたもやプレミア付商品券や旅行券のような金太郎飴のオンパレードとなっている。そもそも市町村が自ら「地方創生」というネーミングを役場組織に付けること自体がおかしいし「何も考えていません」と公言しているのに等しい。

今回も大半の国民が「また同じことをやっている」と疑問を感じ期待もしていないのではないだろうか。なぜならこれまでも政府は地方活性化と称し、「ふるさと創生1億円(1988年)」、「地域振興券(1999年)」、「ふるさと納税(2008年)」とほぼ10年毎に地方の尻を叩いてきたが、地方の人口減少・衰退は止まらなかったことを国民は既に学習済みだからである。

明治以降の中央集権体制は敗戦後の立ち直りと、欧米へのキャッチアップに大きな成果を発揮した。しかしその後の社会の変化の中で、この体制はむしろ地方の自立を妨げ、地方分権を掛け声だけの空疎なものにしてきたと言わざるを得ない。国と地方における仕事量と税収割合の逆転、国からの縦割り・ひも付き補助金、地方に権限を渡さない法律の数々云々。

そろそろ気が付かなければいけない時ではないだろうか。地方の衰退は、「地方創生」を声高に叫ぶ中央政府のあり方にこそ主な原因があることを。国と地方の在り方を根本から見直し、真に地域の自立に資する改革を議論することが「地方創生」なのだと。