明治四十一年七月二十七・八日中之島公会堂
婦人矯風会慈善音楽会
洋楽が盛んになるにつれ、音楽専門の雑誌が発行され、音楽の啓蒙記事や論評、演奏会の批評などが紹介され文壇誌の仲間入りをすることになる。
「音楽界」は創刊時より取材の目を地方に向け、漸く音楽活動に活気を呈してきた地方主要都市の状況を伝えている。
その「音楽界」第一巻第六号の伝える大阪の音楽会所感の中から演奏会衆知のための宣伝の模様と、聴衆のマナー、プログラムの注意書につき示唆に富む紹介がなされているので引用する。
音楽会政策としての広告の可なり必要なるは何処も同じことながら前者の如きは殆んど其半月位前から市街の辻々は言ふも更なり、湯屋、床屋の店先にまで芝居や活動写真の広告と同一に掲示されて居たのは、兎にも角にも東京あたりで見られぬ広告のやり方である。
このような宣伝が効を奏して、当夜は神田青年会館(YMCA)の約二倍もある中之島公会堂は関西の紳士淑女で満たされた。ここまでは論調の穏やかな秋葉子もそのプログラミングと聴衆にみる「趣味品格の卑俗なるに失望」する。
即ち洋楽の曲目には遠来の女流独唱家、藤井環夫人の独唱をはじめ、神戸在留の仏人スイバシア氏のピアノ独奏、独人ポンデー氏のヴァイオリン独奏、米人コルレル老夫人の独唱など可なり振ったものがあったにも関はらず、和楽の演奏に耳を澄ませる聴衆が、洋楽の時には毫も静粛でなく、其一、二等席聴衆の三々五々私語する所を聞けば「彼は何を弾けるや、解らぬから詰らぬ。早くやめて呉れればいいのに」と高言して憚からず其甚だしきに至っては、其演奏中に兼て用意の菓子、果物を取出して食ふ者あるなど、実に驚く可き事実ではなかろうか。
また、聴衆の音楽会のマナーを予想して、プログラムに次の注意書が添えてある。
最も静粛にすべきこと、脱帽すべきこと、演奏中に拍手、発声せざること、演奏者に不快を感ぜしむる如き言語動作をせざること。
と至極、用意周到な心得であり、昨今の演奏会でカメラ、録音機の持込み、突如として客席のあちこちで時報を告げる腕時計、携帯電話の呼出音などは時代の所産を思わせるが、明治の大阪音楽会の注意書は時として現在の聴衆にも通用する事項である。