とにかく春が来たのだ。いまこそ動き出す時である。
笹見平に春が訪れた。朝夕はまだ冷え込んだが、日中はぽかぽかしている。木々が芽吹き、河原を岩苔が黒々と覆った。
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高台から南の平野を見下ろすと、吾妻川の流れが太陽の光を照り返している。林は空と大地と植物がいちどきに命を育もうとしているのを感じた。それは一種感動的な世界だった。
冬の間は食うや食わずで、備蓄とイマイ村の援助でなんとかしのいだ。命の危機が何度となく訪れた。そのたびに思ったものだ――極寒を迎える前に貨幣のアイデアを進めておけば、こんなひどい目には遭わなかっただろう。
今さらそんなことを言っても仕方が無い。とにかく春が来たのだ。いまこそ動き出す時である。
先頃、林ら笹見平の主導部は、ストップしていた紙幣づくりを再開した。難航したのはルール作りである。細かい規則を決めても、肝心の縄文人たちが理解できなかったら意味が無い。
かといってシンプルすぎると、のちのち「ザル制度」になってしまうおそれがある。林らは議論を尽くしたが、落としどころが見つからない。
結局最低限のルールで見切り発車することにした。ルールが決まると、あとは最終的なプロセスをこなした。岸谷は貨幣デザインを仕上げた。岩崎と砂川は紙幣とアスファルトの交換比率や総発行数を考えた。