新兵
軍隊で日々繰り広げられる容赦のない体罰に痺れを切らした杉井は、思い切って上等兵の大宮に質問をぶつける。それに対する大宮の答えは「やらせていることにはそれなりの意味がある」というものだった……。
無抵抗の弱者を苛めるだけが目的ではない
大宮の説明は説得力があった。杉井はなおも訊いた。
「ビンタはあそこまでやる必要があるのでしょうか」
「杉井なあ。お前のその質問こそビンタものだぞ。ビンタも戦地に行ったら必要欠くべからざるものだ。戦場で恐怖のあまり夢遊病者のようになってしまう者もいるが、そんな奴を正気に戻すためにも、また疲労困憊の極に達した者に気合いを入れるためにもビンタは必要だ。
もっともここでのビンタは、さっきも言ったように、物事を体で覚えさせるために、訓練どおりにやらなければビンタがとんでくることを徹底し、反射的にそれを避けようとして、自然と正確な挙動をとれるようにすることを狙ってのものだ。誰も好き好んでビンタを張っている訳ではない」
杉井は「上等兵殿はそうですが、他の方は好き好んでやっておられると思います」と喉まで出かかったがぐっと抑えた。
「しかし、ホーホケキョや蝉まで必要でしょうか」
大宮は、一瞬沈黙したが、すぐにニヤッと笑って言った。
「あれか。あれは確かに要らんかも知れんな」
あのような、無抵抗の弱者を苛めるだけが目的で、誰にとっても何の益もない罰則に合理性がないことは、良識派の大宮は認識しているのだろうと、杉井は思った。