第一次選別
昭和十四年当時の陸軍において、連隊の本隊はすべて外地に出征しており、杉井が入営した野砲兵第三連隊は補充隊であった。補充隊の任務は、入営した兵を、三ヶ月後に第一期の検閲を行った上で、一人前の兵隊として戦地に送り込むことであった。
補充隊には、守備隊長陸軍中佐である連隊長が一名、少佐である大隊長が二名、中尉である中隊長が四名、少尉又は准尉である教育係将校が各中隊に四名、下士官である教育係助教が各中隊に十名、上等兵である助手が各中隊に二十五名いた。
このうち准尉以上は営外居住で連隊に通勤していたが、下士官は連隊内の個室で生活し、兵は古参兵として新入兵と同じ部屋で起居を共にしていた。
第一期の検閲が終わると、幹部候補生以外の兵はほとんどが外地に出征し、一部の者だけが次に入って来る兵の教育係として残留した。教育係となる者は、幹部候補生にはなれなかったものの成績が比較的優秀であった者か上官と特殊なコネのある者のいずれかであった。
彼らは初年兵教育のほかに、正門裏門の警備を行う営兵勤務、馬匹の見回りを行う厩舎当番、夜間内務班の警備を担当する不寝番などの勤務に就いた。
野砲兵第三連隊の昭和十三年徴集兵は、一月入隊の前期八百名、六月入隊の後期八百名の合計千六百名だった。杉井たち前期八百名のうち、幹部候補生有資格者は五百名だった。
有資格者の要件は中学校以上卒業という形式要件だった。幹部候補生になるならないは個人の希望に委ねられており、従って志願制という形を取っていたが、実際は半強制的であった。
志願しない者はその理由を厳しく聞かれ、理由の如何を問わず非国民と罵倒されるため、希望しない者も結局渋々志願するというのが実態だった。