第二章 日本のジャンヌダルク

「高杉晋作とか、坂本龍馬とかが出てきますよね」まゆみがうれしそうにいった。

「でもこの戦争で長州藩は敗北しました。その結果、攘夷は無理だとわかって倒幕へと方針を変えます。その方針転換のきっかけを作ったのは、国学者が唱えた勤王思想でした」

「ああ、それで明治維新は思想革命だといわれるんですね。でも宗教革命というのは?」

「江戸時代は幕府の宗教政策として檀家制度が定められ、庶民は必ずどこかの寺に所属しなければなりませんでした。寺請(てらうけ)制度による宗教統制です。でもそれは民衆の宗教心を抑制するためではなく、宗教団体を統制して、彼らが保持してきた権力を弱めることに目的がありました。

だから庶民がいろんな神社に参拝に行くことは比較的自由だったんです。こんなところから日本人の宗教観の独自性ができてきているのかもしれません」

「日本人の宗教観の独自性というのは、多神教ということですか」沙也香が聞いた。

「そうです。強制的に施行された寺請制度によって、僧侶の堕落がはじまり、多くの庶民は所属する寺への信仰心を失っていきます。そんな中で、さまざまな神社などに参拝することが日本人の宗教の傾向になっていきました。

でも明治維新で明治政府が誕生し、天皇が国家元首になると、それまでの宗教事情が一変します。記紀の記事にある通り、天皇は日本国を統治するために天降(あまくだ)ってこられた神であると、強制的に信じさせられたのです。