生命の崇高と人体構造の神秘を描き切る傑作。

ほぼ100日、約3カ月におよぶ正統解剖学実習。死者と向き合う日々のなかで、医学生たちの人生も揺れ動いていく。目の前に横たわる遺体(ライヘ)は何を語るのか。過去の、そして未来の死者たちへ捧ぐ、医療小説をお届けします。

第一部

実習書によると、こうして1つの線分の両端から切り進み、つなげて長方形の扉を作ると有る。僕の対側には高久がいて、やや不安だ。真面目な高尾か、もう少し増しなような田上なら良かったのにな、と思った。高久も僕に対して同様に思っているかも知れない。

案の定、互いに延長して来た三角形の辺はくいちがって、つながらなかった。お前が悪い、と互いに言い合った末、しょうがないので、直線を折れ線にして辻褄を合わせた。ほとんどがそうなった。高尾と田上組の方は、ほとんど一致している。前途多難だと思った。

他の班もそれぞれに切り開いて、腹部や胸部の皮膚が大きくめくれて脂肪を見せている屍体が、広い実習室に並んでいる。

実習が始まって、いつの間にか3時間が過ぎていた。各人、雑談する余裕も出て来たみたいで、次第にざわついて来た。

しばらく静観していた教授がすかさず注意する。
「皆さんに言っておきますが、こういう経験は、今後二度とないので、しっかり学習するように」

決して大声ではないが、諭すような、落ち着きの有る言い方は、かえってざわつきを静めるのに十分だった。

「予定の所まで終わった班は、どんどん次のところへ進んで下さい。カリキュラムに予定されている時間はあまり有りません」

教授にそう言われて周囲を見回すと、早い班はすっかり皮膚の切開を終え、遅い班でも我々よりは切開が進んでいる。僕たちの班は、もしかすると、一番遅れているのでは。そう感じた時、富田助手が見回って来て、お前たちの班はかなり遅いぞ、と一言言い捨てて行ってしまった。

なんだい、遅れていると思うんなら、何か教えてゆけよな。高久が口を尖らせて言った。あの人医学部の出身じゃないんだってよ、クラブの先輩などからの情報通の田上が言った。

「え? 医学部卒でなくても医学部の教官とかになれるの?」
高久が口早に聞いた。僕も高尾も思わず聞き耳をたてた。