ようやくひととおりの準備を終えると、いよいよ乗馬である。鐙(あぶみ)に足をかけ、力いっぱい蹴り上げて勢い良く乗るのだが、十人中二人くらいはこれができず、古参兵に尻をたたかれながら、何とか這い上がって乗る。

杉井は生まれて初めて馬の背に乗ったが、予想以上に高く、二階から見下ろすような感があった。次に手綱を持つのであるが、これが固定物でないため拠り所がなく、腰でうまくバランスを取らないと、すぐに落馬しそうな気がした。

初日は営内をゆっくりと歩くだけだが、それでも相当の恐怖感が伴い、杉井は、形だけは馬に乗ったものの、一体自分は本当に馬をコントロールできるようになるのだろうかと不安を覚えた。

翌日は城内の練兵場へ出かけての乗馬訓練となる。鐙を鞍の前に上げて、鐙なしで歩行訓練をする。並足のうちは良いが、早足になると腰が浮いてどうにも不安定になってくる。こうなると、馬によっては面白がって尻を振ったり、脚を跳ね上げたりするので、何人か落馬者が出る。

神風の意地悪は、今回も尋常ではなかった。わざと左右に体を揺すりながら走り、かつ、前脚と後脚を交互に大きく跳ね上げた。落馬者が続出する中、杉井は何とか持ちこたえていたが、神風が右の後脚を大きく跳ね上げた瞬間、つんのめって左前方に落馬した。

杉井が落ちるのを見ると、神風は喜んで尻を左右に振り、放屁して兵舎内の厩舎に向かって走りだした。

「杉井二等兵、何をしとるか。しっかりせい」

野崎に怒鳴られ、杉井は、すぐに起き上がって神風を追いかけた。神風は二百メートルほど先でこちらを見ている。杉井がようやく神風の近くにたどり着くと、神風はまた走りだしてしまう。

この繰り返しで、結局杉井は、練兵場から厩舎までの千メートルを全力疾走する羽目になった。古参兵には怒鳴られ、馬には馬鹿にされ、重い長靴で汗まみれになって走りながら、杉井は情けなくて涙が出る思いだった。