第一章 カンタレラ! カンタレラ! 一九一九年六月
ベオグラード体は黒い川に落ち水沫が飛び散ったが、近くにはその音を耳にした人物は誰もいなかった。川の水が幅広い港口に向かって死体を運んでいる間に、アンカ・ツキチは、サヴァ川の港、ドック11Aと11Bの間にある石造りの岸辺に立ち、周りの暗いシルエットを眺めていた。
運が良ければ、船体のロープやキールにからまることなく、国王直属あるいはオーストリア・ハンガリー帝国の水上警備艇が死体を見つけるまで数日が経過することだろう。その間に膨らみ、変形し、軟組織は石鹸に似た物体に変わり果ててしまう。誰のものかわからないと言えるほどになるのだ。
アンカは周囲を見回して、望まれざる目撃者がこの一瞬の出来事を見ていなかったか、今一度チェックした。港には人影はなく、闇に包まれていた。
ベオグラードの中心街は、逆に、テスラ研究所のおかげで豪華に照り輝いていた。おびただしい数の電灯の投影によって、暗い夏空に、聖ミハイル教会、カレメグダン要塞のシルエットを際立たせながら。
しかし、ここ市港のドックでは、労働時間はとっくに終わっており、多くのドックには船の姿はなかった。アンカのいるところから数百メートル離れた古めかしい倉庫群は、明るい星空に比べて黒い無定形の塊としてしかとらえることができなかった。
この場所では、グロー着火ガス灯はまだ高輝度の電灯に換えられていなくて、何人かの夜間警備員が小屋で居眠りしたり、ラキヤをあおって、チーズをつまみながら、ドミノゲームに興じていたりした。アンカは、誰も自分を見ていないと確信した。